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おごり・おごられの記

「○○するのが好きな人は、○○されると大いに喜ぶ」という法則があるように思う。
たとえば、
・贈り物をするのが好きな人は、贈り物をされるとひどく喜ぶ
・人を助けるのが好きな人は、人に助けられるとひどく喜ぶ
・親孝行が好きな人は、親孝行されるとひどく喜ぶ
などである。

うがった見方をすれば、○○してもらいから○○してあげている、という部分があるかもしれない。

あるとき、私が経営のお手伝いをしてきた A 社の A 社長(64)が非常勤の会長に退き、息子さんに社長職をバトンタッチすることになった。引退記念の夕食会(約 10人参加)に私も招待してくれた。

「武沢さん、長い間本当にありがとうございました。引きつづき息子の指導をよろしく頼みますよ」

お酒がすすんだ。私も A 社長もほろ酔い気分だった。いろんな思い出話に花が咲いた。会議のあとなどに、美味しい寿司屋やステーキレストランなどで反省会をしたことなどに話が及んだ。

いつも A 社長は金払いがよく、気づくと会計が終わっていた。私に一円も払わせようとしないので、いつしか私は、「 A 社長との食事会は払わなくても良いのだ」と思い込むようになった。そこが甘かった。

太っ腹な人は、太っ腹にしてもらいたがっていることに気づかなかったのだ。「武沢さん、うちとはどれぐらいになる?」
いつもは「武沢先生」なのに、いつしか「武沢さん」になっていた。「そうですね、約 10年でしょうか」「10年か~、あっという間だね。それにしても、一度でいいからあなたに、ご馳走してもらいたかった。接待する側、される側じゃなくて、男と男として酒を飲みたかった」

私は瞬時に酔いが醒めた。

それに似た話で、こんなこともある。

人望が足りない B 社長がいた。彼は A 社長と違って金払いが悪い。金払いが悪い人の特長は、ワリカン負けを気にする。それに、ご馳走したことをいつまでも憶えている。

そういう人は、「前回は僕が払ったので、今回はご馳走になって良いですか?」と考える傾向がある。ときには相手にそれを言う。

そんな B 社長の会社は業績が悪く、当然のこととして収入も乏しい。お金がないからケチになるのかもしれないが、ケチだから業績が悪いという面もあるのだ。

今日の結論:

1.おごったことは忘れ、おごられたことは忘れるな
2.相手が年長者であり、クライアントであったとしても「ご馳走になって当然」と思い込むのは大間違い。何回かに一回  は自分から招待し、ご馳走させてもらうべし

グループ会などでは、円単位でワリカンにすることもある。つきあいが浅い段階では二人での会食でもそうするときがある。それはそれでドライで結構だが、どこかで「おごり・おごられ」が始まると、意識的に払いすぎの方に走ってちょうど良いと思う。