「もう来年で40才になるのにいまだに独身。そもそも結婚資金の蓄えすらない。無計画に生きてきた自分がふがいない」とこぼしている若者がいた。そこで、私は申し上げた。
「40才で独身、何が悪い。結婚資金の蓄えがなくて何が悪い。無計画に生きてきて何が悪い。それらはなんにも悪くない。ただひとつ、自分がふがいないと思っていることだけが悪いのだ」と。
岡本太郎氏の言葉にこんなのがある。
「人生とは積み重ねだと誰もが思っているようだが、ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう」
いつもフリーなポジションでいられる自在さは何ものにも代えがたいではないか。
さて、昨日の続きをお伝えしたい。岡本太郎著『今日の芸術』(光文社刊)や、同氏の『強く生きる言葉』(イースト・プレス刊)、『自分の中に毒を持て』(青春文庫)にある言葉も拾いながら考えてみたい。
・・・今日の芸術は、
うまくあってはいけない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。
と私は宣言します。それが芸術における根本条件であると確信するからです。
(中略)
見るものを圧倒し去り、世界観を根底からくつがえしてしまい、以後、そのひとの生活自体を変えてしまうというほどの力をもったもの・・私はこれこそ、ほんとうの芸術だと思うのです。
・・・
すごい迫力ではないか。このパワーが経営者にも必要だ。
事業とは顧客創造である。顧客創造のための活動とは、需要の創造であり、更に発展して言えば時代の創造でもある。それは、経営者の情熱の発露でなければならない。決して、およびごしでできるものではないのだ。
よくミーティングで使われることば、
・まずは調査してみてから
・市場の反応を見ながら
・様子をみつつ
などではダメだ。
次へ行こう。
・・・信念のためには、たとえ敗れるとわかっていても、おのれを貫く、そういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞとぼくはいいたいんだ。成功だけを意図してやってきた連中というのはほとんど成功していない。そういう人は、他に対しても自分に対してもみじめだな。こんなことをしたら自分はダメになってしまうんじゃないか、死んでしまうんじゃないかと妥協しないで、自分を貫いてきた者のほうが成功している。むしろ、成功しなくてもいいということを前提としてやっていれば、何でもないだろう。思い通りの結果なんだから。
・・・
新規事業についてのミーティング。最初のブレストの時には斬新なアイデアに満ちていたにもかかわらず、最終的には角がとれて、無難なプランにおさまってしまうことが多い。麻雀にたとえるなら、役満狙いでスタートしたものが、タンヤオのみで小さく上がる方針に変えられてしまうようなものだ。
岡本氏の言葉は更につづく。
・・・思想はほとんどの場合、社会の情勢とは悲劇的に対立する。しかし、その対決で世界は充実していく。それが“思想”なんだよ。ほんものの思想だったら、情況はどうあれ、そんなにかんたんにコロコロと変わるものではないはずなんだ。
・・・
ときどき、経営理念ってどうしてどこの会社も似たものになるのだろうと思う。それは、人まねだ。うまくいっている会社の社長を真似ているだけに過ぎないとしたらそれは滑稽だ。
・とことん仕事を楽しもう
・一年にひとつ、誰もやっていない新事業を立ち上げる
・全社員が億万長者
そんな経営理念があってもいいではないか。
ピカソの言葉、「大切なのは熱狂的状況である」というその状況は、経営者個人から発せられるものであり、それが組織や顧客に伝搬していくのである。
<芸術と企業経営は同じではない。だが、その精神の気高さは相通じるものがあるはず。次回(来週月曜日)、この稿のむすびとしたい>