中国から帰国して三日目になるというのに、頭のなかは中国だらけ。マカオで珠海で、そして上海で経験した様々な出来事が脳裏をよぎり、同行メンバーと再会して思い出話に花を咲かせたい気分だ。
旅行というものには、旅行前、旅行中、旅行後の楽しみがあるが、旅行後が一番長期間楽しめるので好きだ。そして旅行後の思い出話というものは、往々にして実際の体験をよりいっそう美化させる性質があるので楽しい。
これは、なにも旅行に限った話しではない。ビジネスや人生の経験も過去のすべてが美化されやすい性質があるのではないかと思う。ものすごく苦労したことも、大成功したことも、過去はすべて美化されてしまう。
実は、そのあたりに思考のワナが潜んでいるように思える。
私の母は、まだ低学年だった私にいろいろな言い伝えを教えてくれた。迷信というべきか、タブーというべきか。
・新しい靴を家の中で履き、そのまま外へ出るときには「くわばら、くわばら」と二度唱えなさい
・タグを付けたままの新しい洋服を着て、そのタグを後から切るときには、「脱いだ」と声に出す
・自宅で見つけた蛇は守り神なので追い出してはならない
・夜に爪を切ると縁起が悪い
・朝ぐもは殺してはいけない
これらの教えを私は今でも守っている。(へびはいないはずだが)
最近になって、これらの教えの意味が幾つか分かりだした。夜に爪を切ると縁起が悪い、という教えは、大昔の電気がなかった時代にさかのぼる。今のような爪切りすらない時代ゆえ、真っ暗ななかでハサミや小刀で爪を切ったら危ないに決まっている。そうした戒めを、「夜に爪を切ると縁起が悪い」という表現で言い伝えているのだ。
「朝ぐもは殺してはいけない」に至っては、「夜ぐもは殺してよい」の反対表現から来ているようだ。しかもその理由は、どうやらダジャレに近い。夜のくもを殺してもよい理由は、「よくもきたな」(夜くもきたな)というのだ。
う~む、わたしは時代の最先端を生きながらも、こんな教えを後生大事にしていたのか・・・とあきれるが、これが迷信やタブーといわれるものの魔力か。ちなみに、「靴でクワバラクワバラ」「洋服でヌイダ」のほうの真意はまだ知らない。
人は過去の体験や学習を通していろんな知恵を貯め込んでいく。しかも、その多くは子供や後輩に語り継がれていく。このこと自体は、人間ならではのとても素晴らしい叡智だ。だが、他人の教えや、自ら過去に学習したことを今でも盲目的に信じてしまうと、私のように今でも「ヌイダ」を言うことになる。
盲目は思考の停止を意味する。盲目とは、疑うことを知らない状態をいう。ビジネスにおいて、疑いの余地なく何かを信じるのはとても危険なことなのだ。
自らの成功体験や失敗体験だけを頼りにして将来のことを考えると、誤りやすい。では何を頼りにしたら良いのか?
「その教え、その成功体験は、今後も通用するのか?」と自らに問うことではないだろうか。経営環境は刻々と変化するなかで、変わるものと変わらないものとの見極めをきっちり出来る経営者であり続けたいものである。