昔、中国の「杞」(き)の国のある男は迷信を信じていた。そして、「もうすぐ天が落ちてくる」「今度、大地が崩れる」などと、食事ものどを通らなくなるほど憂えていた。それが杞憂(きゆう)の語源になっているが、現代人も時々それに近いことを真剣な顔をしてやっている。
迷信や占いも参考情報として知っておくのは結構だが、自分自身の行動にそうしたものを持ち込んでしまうと行動がそれにとらわれ、主人公が誰だか分からなくなる。
行為の人は迷信めいたものを信じないことが多いもの。
実測にもとづく最初の日本地図を作った伊能忠敬も迷信を信じない人だったらしい。信じていたらキリがないので、意識的に信じないようにしたのかもしれない。こんな逸話が残っている。
あるとき、出発する忠敬のために親族によって送別の宴が催された。すると建物の梁(はり)にあった燕の巣からひな鳥が落下し、そのまま息絶えた。列席者は顔色を失い、互いに顔を見合わせた。すると忠敬は「鳥の事故死はよくあること。つまらぬことに気を病むものではない」と一笑に付した。
翌朝、出発しよう忠敬が玄関で草鞋(わらじ)を履いていると、ブツンと鼻緒が切れてしまった。新品にしては大変珍しい。昨夜につづいて縁起の良くないことが起きたので、さすがに家族は心配し、出発をしばらく延ばしてはどうかと言った。
すると忠敬は「草鞋は革でも金でもない。よって、時に切れるもの。そうした私事をもって公儀の仕事を延期するものではない」と、別の草鞋で平然と出発した。
次に門まで来ると、納屋に入れてあった樽木が弾けて、パンと大きな破裂音を出した。今度ばかりは家族中のものが忠敬のもとに駈けより、「せめて今日だけでも出発を思いとどまって下さい」と引き止めた。
しかし忠敬は、「古くなった樽が壊れるのは自然の摂理。私に関係したことではない。それより、そうしたつまらぬことで私の予定を狂わせないでくれ」ととりあわなかった。
そのときの測量旅行はかつてない大きな収穫を納め、忠敬は出発前のできごとを笑った、と伝えられている。
迷信を信じない人でも験担ぎ(げんかつぎ)だけはする人が多い。
たとえば、ズボンや靴下を履くのは必ず右足から、とか勝負ネクタイや勝負パンツで出かけると商談がまとまるとか、朝、この音楽をかけるとその日はうまくいく、などの類いだ。
迷信を信じるよりは罪が軽いが、これもある意味、行動の足かせになりかねない。なるべく験担ぎもやめるに越したことはない。
なるべく、あらゆることから自由でいたいものである。