「息子がいよいよ来年は就職活動です。すでに準備に入っているようですが、私としては、訳のわからんところで修業するくらいなら、すぐにでも当社へ入れて、きっちりと鍛えてやろうかと思うのですが、武沢さんはどう思いますか」
「賛成か反対かの二者択一なら、反対ですね」
「ほぉ、そりゃまた何で?」
辞書にはない単語ながら、親子鷹(おやこだか)という言葉がある。父子鷹と書くこともあるが、親子がともに力をあわせ困難に立ち向かって勝利を得るときに使う。
最近では若貴の花田兄弟とその父や、イチロー選手とその父など、元世界チャンピオンのジョー辰吉選手とその父などが父子鷹の好例として話題になった。俳優や芸人などにもこうした例は多い。
このように、スポーツや芸能分野では父子鷹の物語が多いが、経営では意外に少ないように思う。むしろ、同族経営や血縁関係を経営からしりぞけようとするケースの方が多い。それはひょっとすると、東洋思想と関係しているかもしれない。
「孟子」にこんな話しがあるのだ。
ある日、弟子が孟子に向かって尋ねた。「君子は自分の子を直接教えないと言われますが、それはなぜですか?」
すると、孟子は、「それは自然の成り行きとしてうまくいかないからだ」として次のように続けている。
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教える者は必ず正しい道を行えと厳しく言うだろう。教えたとおりにうまくいけば良いが、実際は教えた通りにはならない。うまくいかないとなると、教える者はついつい腹を立て、怒鳴ってしまう。怒鳴ってしまうと、本来は正しいことを教えたはずなのに、かえって愛情とか父子の関係を損ねる結果になってしまう。それどころか、子供は「お父さん、あなたは私に正しいことを教えているが、いったいあなた自身は正しいことを行っていないじゃないか」と反発してしまう。だから、昔の親は自分の子供を自ら教えるのではなく、他人の子供と取り替えて教え諭したのである。父が子に善を責めると、親子の情が離れてしまう。それこそ、これ以上不幸なことはない。
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親は子の教育に責任があるが、それは自らが教育を施す責任ではない。子にとって最善の方法を考えよう。
今日は親子の話題を取りあげたが、社長と社員の関係にも相通じる話ではなかろうか。