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言葉と音楽

相手とのコミュニケーションとは、言葉のやりとりだけをさすのではない。相手が奏でる音楽に耳を傾けつつ、同時に自分の心の音楽にも注目すべきである。

ワインバーグの『コンサルタントの秘密』(共立出版)に、次のようなくだりがある。

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あるコンサルタントが、クライアント先のビジネスマンと個人面談をした。そのビジネスマンは、上司との人間関係がどれだけすばらしいかという話をした

ところがビジネスマンは、話の最中にときどき手をふるわせていた。それを見抜いたコンサルタントは、こう尋ねた。「お話しのときに、手をふるわせておられるのに気づきましたが・・」とだけ。

すると、彼は一瞬びくっとした後、自分の手に目をやり、上司を大変恐れていて本当のことを話せないのだ、という告白をし始めた。
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という話だ。

この場合、言葉とは文字通りビジネスマンが話す内容そのものだ。そして音楽とは、彼のしぐさ、つまり手が震えているという状態をさす。コミュニケーション力を磨くとは、言葉と音楽の両方を受け止めようと、あなたの五感のアンテナで相手からのメッセージをキャッチしなければならない。

この話、さらに続きがある。

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音楽に耳を傾けるというのは、依頼主の音楽には限らない。そもそも依頼主が助けを求めたのは、自分が何となくおかしいと「感じた」からだ。しぐさだけでなく、「感じ」も音楽の一部なのだ。依頼主から聞こえてくる音楽は、彼の腹のなかの直接知ることのできない情緒的状態が外部に洩らす音なのだ。

相手の音楽だけではない。相手の話を聞いて感じる自分の音楽にも耳をかたむけよう。
読者は、自分の情緒的状態ならば直接に知ることができる。そして読者の情緒的状態は、多くの場合、依頼主の音楽にきわめて敏感である。
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落語の名人芸や、話術の巧みな人の話を聞いているとある種の共通点がある。それは、話の内容の割に語りは静かなのだ。
たんたんと、ひょうひょうと、語る。なのに話が面白い、なのに話を想像すると泣けてしまう、という経験があるはずだ。
この場合、言葉はたんたんとしているのに、相手の心は大笑いか号泣しているはずなのだ。

相手の言葉に耳を傾けつつも、相手と自分の音楽にも耳をそばだててみよう。