●7/18(金)の長州非凡会では財団法人松風会の石原啓司先生の講演をお聞きする機会があった。松風会は、吉田松陰の精神を普及振興し、これを現代に生かすことを目的に事業を行っている。
★財団法人松風会 http://www9.ocn.ne.jp/~shohukai/
●松風会の理事をつとめる石原氏のお話は、「今、あらためて経営者が松陰に学ぶべきこと」と題し、示唆に富んだ内容で強く私の心を打った。読者の皆さまと、その感動を分かち合いたい。
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吉田松陰の人生は、わずか30年にすぎない。にもかかわらず、膨大な書簡や著書を著し、有為の人材を無数に育て、学者・教育者・志士という、ひとつの型では説明できないほど多様な活躍をした。そんな松陰の生涯をふり返るとき、教育者や志士にとって、もっとも大切なものは「人格」だ、と松陰みずから語っているように思えてならない。
彼の人格形成の基本は、猛烈な学問にある。幼少期からそのようにしつけられたせいもあるが、古今東西において彼ほど学問に熱中し続けた人物はすくないはずだ。松陰の江戸での日記『辛亥日記』によれば、午前は乗馬と剣術の訓練を行い、一ヶ月に30回もの勉強会に参加し、中国の歴史書『資治通鑑(しじつがん)』を30枚ほど読む日々であり、今の大学生以上に学習している。また、一年に千冊を読破する目標を掲げ、それを実践できなかった(実績は600冊ほどだった)自分の不甲斐なさを日記にくり返し、記してもいる努力の人だ。
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●なるほど、すごいガンバリだ。年間百冊読破ぐらいで喜んでいた自分が恥ずかしい。ひょっとして速読術でも身につけていたのか、と思えるほどの読書スピードだ。しかも彼の読書のユニークな点は、大切な箇所を抜き書きしたり、気づきをメモしたりの読書だ。単なる通読や速読ではないにもかかわらず600冊読むとはなんたること。しかも彼は、読書が本業の学者ではない。
再び、石原氏の講演にもどろう。
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・・・処世や政治ごとを上手に処理する人が素晴らいのではない。ましてや、頭が優秀であることや、技術に秀でていることだけでは、指導者として自慢できるものではない。教育者松陰の「松下村塾」は、わずか2年弱の活動にすぎない。にもかかわらず、きら星のごとく人材が輩出したのはなぜだろうか。その要因は二つあると考えている。
まず一つめは、志をもたせたこと。松陰みずからが志の人であったのはもちろんのこと、村塾の塾生ひとりひとりにその人の適性や可能性を最大に引き出すような志を持たせている。
二つめには、私心をなくすこと。私心を去って身辺を清潔にし、強い責任感をもつことが指導者の条件であると、後進たちに教え、みずからもそれを実践した。それが松陰の人格となり、圧倒的な迫力で塾生たちの人生に強い影響を及ぼし続けたのである。
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●石原氏の話はここまで。
志をもとう。
最後に、松陰を松陰たらしめている要素がもうひとつあると私は思っている。それは、「知行合一」の精神だ。読書人にありがちな頭でっかちで行動がともなわない点とは、まったく無縁なのだ。
知行合一とは、陽明学の精神であり、知っていることと行いとは一緒でなければならないという意味だ。行動がともなわなければ、知らないと同じなのだ。いや、知っていながら行動しないなど、知らないより恥ずかしい。松陰は陽明学の教本「伝習録」をくり返し読んでおり、知行合一の精神が強く息づいていたことは容易に想像できる。彼の足跡をみると、「知行合一」そのものの人生だ。
●黒船が来航したらそれに飛び乗って「私をアメリカに連れて行け」と直談判している。また、松陰が処刑される直接の原因となった老中暗殺計画も実は彼の誠を伝えんがための知行合一的行動だ。
「かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂」 という松陰の句は、「知行合一」の精神そのものと言えよう。
●親を思う心がたいへん厚かったやさしい松陰は、処刑が近づき自らの不孝を詫びてつぎの句を詠んでいる。「親思ふ 心にまさる親心 けふのおとづれ何と聞くらむ」
彼の強さや凄さだけでなく、こうした彼の優しさやけなげさが、今なお人々の心を打ち続けている理由に違いない。