生まれ育った小さな町で便利屋ビジネスをはじめた A 社長(40)。30代前半までは都会に出て働いていたが、やっぱりこの町が好きで戻ってきた。去年まで宅配弁当の会社で働き、お金をためて今年、便利屋ビジネスを創業したのだった。
この町は山間部にあってお年寄りが多く、便利屋への依頼は多岐にわたった。掃除、買い物、銀行振込、入出金、買い物、野良仕事の手伝い、庭の手入れ、納屋の整頓、病院の送迎、介護のようなこともした。そういえば、喪主の代行も頼まれたことがある。大儲けもできないが、大好きなこの町の人々の「ありがとう」をもらいながらご飯をいただけるわけだからやりがいは充分にあった。
何をたのまれても一生懸命にやる。自然にお客は増えていって、A社長のもとで働く社員も 4人に増えた。その 4人のうちのひとり C 君(35、男性)がある日、不正事件を起こした。町でも指折りの資産家のおたくにおじゃまして定期清掃するのが C 君の仕事だった。資産家のご主人は人材派遣ビジネスで財を成し、いまでは不動産収入で悠々自適の暮らしをしていた。奥様は身体が弱く寝たきりでいることが多かった。 C君は奥様の信頼があつかった。家族の一員のように可愛がられ、信頼してもらった。
あるとき奥様が異変にきづいた。
ベッド脇のサイドテーブルにポシェットがある。銀行に行くのが面倒なので常時そのなかに 200万円程度の現金が入った封筒がある。ふだんは数えたことがないけれど、その日の朝に限って、孫が遊びにくるのでおこづかいをあげようと現金を数えたのだ。それがいま、10枚以上足りない。「変だわ、私の記憶違いね」と思ってその日は気にせずに寝た。
次の日も C君はいつものように明るく元気に仕事をしてくれたのでお茶菓子をふるまった。便利屋の仕事に転職したおかげで収入も安定しやりがいもあるという話をしていた。「やっぱり私の勘違いだったわ」
しかし、翌週も同じように 10枚以上の現金が減った。今度はご主人に告げた。]ご主人は、「一応念のために、現金封筒の中味にはすべてに鉛筆で 1番から順に通し番号を書いておこう。そして一週間はその現金に手をつけないでおこう」と言ったのでそのようにした。
翌週、連番が飛んでいた。13枚ぶん飛んでいた。
A社長を呼んでその事実を告げた資産家夫妻。A社長は最初「信じられない」というような顔をしていたが、資産家夫婦がウソをついているとも思えない。「すぐに事実確認しご報告にあがります」と会社にもどりC君を呼びだした。すぐに事実をみとめた。ただ、不正したのは二度だけであり、金額は 25万円程度でありギャンブルに使い果たしてお金はもうない、といった。
翌日、そのことを資産家夫妻に電話報告するとご主人が激怒した。そんな甘い調査はない、という。A社長はどうしてよいか分からなかったがとにかく資産家夫妻に謝りにいくしかないと思った。
「Aさん、あなたどうするつもりだね?」とご主人に聞かれた。頭はまっしろだった。なにも言葉が浮かんでこない。「どうしてくれるの?」と奥さんにもいわれた。いままで一度も聞いたことがないきつい声だった。
ふりしぼるように声がでた。「私は逃げもかくれもしません。お好きなようにしてください」
警察沙汰になるってことだよ、とご主人はいった。C君の名前はもちろん、Aさんの会社もA社長の名前も出る。便利屋ビジネスでおきた不祥事ということはこの町以外でも話題になるだろうとAさんは思った。倒産も避けられまい。だが、起きてしまった事件はもみけすことはできない。すべてを受け入れる腹をくくった。
それで本当にいいのかね?とご主人がなんども確認するがそれしかない。「はい、結構です」Aさんは言った。私と私の会社はどうなっても構いません。それだけの被害とご心痛を与えてしまった罪は重いからです。ただ、……。「ただ、何かね?」とご主人。
C君のお子さんのことを思うとつらいです。たしか中学生の女の子です。それにこの仕事に従事されている全国の便利屋の方々に申し訳なくて…。
ご主人はこういった。
「もう一度C君からしっかり事情聴取してちょうだい。彼次第でもあるわけだし。私の方でも分かるかぎりで被害額を算出してみるから。どう決着つけるかは明日決めましょう」
<あすにつづく>