未分類

知的生産工場を持とう

学問するのに時間と空間は必要ない。あらゆる瞬間瞬間の体験や気づき、それに耳学問も立派な学問だ。だが、知的錬磨のためには、読書や思考の時間を欠かすことができない。

ところが人は、結婚と同時に一人になれる空間を失う。空間を失えば、おのずと時間をも失う。従って、“結婚は知的退化の始まり”と説く論客も少なくない。たとえば執筆家・林望氏などは『書斎の造りかた』(光文社)の序章で、知は書斎にあるとして、家庭内別居のすすめまでをも説く。ことほど左様に男の内なる営み、つまり精神生活を送る場所と時間が減ってきている。男にとって、もっとも知的生活が必要とされる30才代以降にもかかわらず、急速にそれがむずかしくなるのが実情なのだ。

これは日本特有の住宅事情(高価、狭い、主婦主導)から来るものだが、ちょっと大げさに考えると、男がいつごろからか男らしさを失った理由は、自分の居場所を失ったからではないだろうか。同様に、あなた自身をふり返ってほしい。自宅もしくはオフィスのいずれかに、一人になれる空間があるだろうか?

きっと過半数はノーだと思うがいかが?私も残念ながら、ノーだ。私のオフィスが「書斎」と言えなくもないが、アシスタントがこの空間にいる限り、ノーだ。

社長にとって、読書することと沈思黙考すること、明日以降のビジョンや方針について書きまくる作業、特定個人を招き入れて、だれも気にせず議論を交わせる場所、それらが必要なのだ。

多くの企業では、“社長は穴熊になってはいけない”として、社長室を取り壊してきた歴史がある。たしかにそれも一理あるが、社長室と同時に社長が本来の知的生産活動を放棄してしまっては本末転倒である。ブースで仕切るだけではダメだ。行きつけの喫茶店でもダメだ。内から施錠できる物理的空間をオフィスに確保しよう。それを「社長の知的生産工場」にするのだ。

取り戻せ、社長室!! 新設しよう、社長室!! 作れ、書斎!