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「偉大」と「良好」の差を生むもの

Rewrite:2014年4月2日(水)

“偉大”を夢見るか、“良好”で満足するか、それが大きな分岐点となる。「グレート!」を目指すか、「グッド」で満足するかの違いはデカイ。では、偉大と良好の違いは何なのだろう。

『ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則』の冒頭のことばが名文だ。引用してみたい。

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良好は偉大の敵である。偉大だといえるまでになるものが滅多にないのは、そのためである。
偉大な学校がないのは何より、良い学校が多いからだ。
偉大な政府がないのは何よりも、無難な政府があるからだ。
偉大な人生を送る人がめったにいないのは、かなりの部分、平凡な人生に満足すれば気軽だからだ。
偉大な企業がめったにないのは、ほとんどの企業がそこそこ良い企業になるからだ。
ここに大部分の問題がある。
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この本では、“良好”な企業が、“偉大”な企業に転換するためのターニングポイントが何であったのかを明らかにしようとしている。偉大な企業は、業界平均を大きく上回る卓越した成長を遂げる。しかも継続的に。

偉大な企業は、経済環境の荒波を乗り越えて成長する。
偉大な企業は、最初から小さな成功や安定を拒否する。
偉大な企業は、偉大な人と組織を作る。
偉大な企業は、五つのステップを経て偉大な経営者になる。
・個人として偉大であること
・組織人として偉大であること
・管理者として偉大であること
・経営者として偉大であること
・第五水準の経営者(謙虚さと意思の強さという矛盾した性格の同居)

企業経営にとっては、何が偉大で何が良好、そして何が凡庸なのか。その基準を決める客観的な尺度はない。

『ビジョナリー・・・』では、偉大な企業の定義として、一定期間の株価の上昇率を用いているが、株価をもたない大多数の我々は何を基準にすれば良いのだろうか?その鍵は目標設定にあるように思う。

経営陣はもちろんのこと、社員全員に対して潜在能力の発揮を求め続けるような社内風土を作れるかどうかが大きな鍵になる。

あるときGEのジャックウエルチ氏が日本の女子記者からインタビューを受けた。「組織を活性化する秘訣はなんでしょうか?」と聞かれたウエルチは、彼女に腹筋を10回やるように頼んだ。

トレーニングマシンを使って彼女の腹筋が8回目まできたとき、「あと5回やってみせて」。11回目まできたら、「ホー、あと5回出来そうだね」。14回目まできたら、「すごいじゃないか、あと5回やれるかい」というように、結果的には彼女に相当な回数の腹筋をやってもらったのだ。

腹筋を通してウエルチが彼女に教えたかったことは何だろうか。
私は、こうした何気ないところの差が毎日積み重なっている会社が「偉大」になり、未達成でも平気でいられる会社が普通以下の会社なのだと思う。

偉大な企業も良好な企業も、そして凡庸な企業も人が運営している。しかも外から見たら大差ない人が働いているのだが、その組織で期待されていることに大きな差がある。
「凡人をして非凡なことをなさしめることが組織の目的である」といわれるゆえんでもある。

偉大な会社には、偉大なリーダーが必要となる。良好を拒否し、偉大を目指すリーダーが必要なのである。