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社会規範と市場規範

社会規範と市場規範

●最近読んだ本のなかに、「二つの規範」というくだりがあって私の目に留まった。人の行動を理解するうえでとても参考になる考え方で、ひとつめの規範は「社会規範」というもの。

「ひとつの社会集団が共有する、望ましい行動や価値観についての行動基準や慣習のことをいう」とある。

●先週末、東京ドームでのジャイアンツ開幕戦を観戦した。巨人ファンにとってはストレスが溜まる開幕戦になったわけだが、試合の最後まで観戦した野球ファンが大挙して球場出口に向かう。

●当然ながら出口周辺は大混雑していたが、混乱はしていなかった
試合に敗れはしたが、人々がいつも通りの「社会規範」に則って行動したため、けが人や迷子が出たという話は聞いていない。

●「社会規範」、つまりそれが社会のルールやマナーだから整然と行動するわけだが、それより大きいのは、

・そうするのが自分らしいからそうする
・そうしている自分が好きだからそうする
・私の行動が誰かのためになるのなら喜んでそうする

といった動機である。だれだって社会の一員として組織に貢献したいのだ。

●「社会規範」のほかにもうひとつ「市場規範」というものがある
人々が経済的な損得で行動するときこの規範が働いている。

・得するからそうする
・罰金が嫌だからそうする
・決まりだから守らないと罰則があるのでそうする

という類いの多分に損得勘定による行動だ。

●この「社会規範」と「市場規範」をごっちゃにするとややこしくなることがある。
たとえば、知らない街へ行ってその街の人に駅までの道を尋ねたとしよう。おそらく街の人は善意で道を教えてくれるはずだ。
こちらは道を教えてくれた御礼をしたい。おもむろに財布から1,000円札を取り出し、「はい。ありがとう!助かりました」と相手に手渡す。

●何が起きるだろうか。
大喜びして1,000円札を受け取る人もいるだろうが、たいていの人は「なんて失敬な人だ」と憤慨するはずだ。善意で道を教えてあげたのに、対価を支払って関係を清算しようというのか、という興ざめの気分である。

●「社会規範」と「市場規範」をはき違えてしまうとこうした摩擦が起こりうるわけだ。
ところが、時には意識的に二つの規範をはき違えさせて周囲の行動を変えるのに役立てることもある。

●ある家庭に8歳の女の子がいた。
彼女はYouTubeに夢中で、次から次に動画を見つづけてしまうのだった。
宿題もやらず、友だちとも遊びにいかない。ひたすら動画を見つづける女の子。依存症ともいえる状況だった。

●その子を愛する父親がなんとかしてあげたいと一計を案じた。
この一計が非常によくできていたので、ものの見事に長女のYouTube依存がやんでしまったというのだ。
あなたも一度考えてみてほしい。我が子をYouTube依存から抜け出させるためにはどうすべきか。

そのヒントは「二つの規範」のはき違えである。

●私がこの子の親なら、「先に宿題とか友だちと遊ぶといった、やるべき事をやってからYouTubeを好きなだけ見なさい」と言うだろう。だが父親がとった秘策は私の案とはまったく異なるものだった。なんと長女に1日2時間のYouTube視聴を「義務付けた」のだった。

●好きで見ていたYouTube動画も「毎日必ず2時間観るように」と親から義務づけられてしまった。それだけではない。

「YouTubeで観た動画の内容と感想を親に報告するように」

という条件も付け加えられたのだった。
それさえやってくれたら、親はYouTubeを観ていても何も言わないと約束した。

●するとどうだろう。
女の子は一週間で音をあげた。YouTubeを観たくなくなってしまったのだ。父親の作戦の勝利である。

・好きでやっている
・それでもやめられない
・できればやめたい

●そういうものは義務化してしまおう。さらに報告義務も付けることでますますやりたくないことになってしまう。
「社会規範」でやっていたことに「市場規範」を持ちこんだ結果だ

私たちは、周囲に「やって欲しい」と思っていることに対しても何らかの条件を付けてしまい、予期に反して周囲からやる気を奪ってしまっていないだろうか。

考えさせられるエピソードである。