国内経済

考える力を鍛える「一旦停止法」

「アレクサ、梅沢富美男は何歳?」
・・・梅沢富美男は71歳です
「アレクサ、来週の天気は?」
・・・向こう一週間の予報、月曜日は晴れ・・・
「アレクサ、今日の予定は?」
「アレクサ、ゆで卵のゆで時間は何分」

日に何度もお世話になるアレクサ。
AmazonがルンバのiRobotを買収したので「アレクサ、寝室の掃除しておいて」といったことも可能になるだろう。

インターネットが普及して20年余、今やインターネットは完全に私たちの生活の一部になった。
わからないことはその場でネットで調べたりアレクサに聞けば大抵のことが一瞬でわかってしまう。
とても便利な世の中になったものだが、その一方で、すぐに調べらるということは思考力が低下することを意味する。
自分の頭で考えたり思い出そうとしたり、想像しようとしたり、工夫したりする能力が衰えてしまうわけだ。

自分で考え、工夫することを忘れないようにしたい。
先日、スタッフの一人がバイクを買った。
バイク初心者だが、カスタムは全部自分で行なっているそうだ。
出費を抑えるためかと思ったら、「知識と経験を増やしたいから」という。
たしかに一から十まで専門家のお世話になっていたら経験値が増えないだろう。

経験値といえば、最近のゲーム好きの一部は自らゲームをしない
YouTubeなどのゲーム実況で満足するそうだ。
他人のプレーを眺めているだけではゲーマーとしての経験値が増えないと思うのだが、スポーツも見て楽しむ人が多いのでゲームもそれと一緒というわけか。

ゲームそのものが仮想体験なのに、その実況をみるなんて仮想体験を眺めていることになり、仮想の仮想だ。
究極の思考停止になりはしないかと危惧してしまう。

最近はコロナ禍で修学旅行もやむなくバーチャルに切り替える学校が増えた。
VRゴーグルを付けて清水の舞台に立ったり飛び降りたりもできるそうだ。
大仏の手のひらにも乗れるということで、リアルでは出来ない楽しみもある。
しかも沖縄、日光など様々な観光地が用意されているので修学旅行でいろんなところに行ける魅力もある。
しかし、リアルの旅の思い出に勝るものはない。
仮想体験だけで京都に行ったつもりにならないでほしい。

映画や小説もある種の仮想体験だ。
私も映画好き、小説好きなので他人のことをとやかく言えないが、他人の経験に一喜一憂するのも良いが自分の人生でハラハラドキドキすることを考えようではないか

そこで私のおすすめの思考訓練は「一旦停止法」というもの。
画でも小説でも先行きが気になるところで一旦停止する。
そして今後の展開を予想してみるのだ。
しかも3パターン考える。

パターン1は、このままの流れでいくとこうなるという「順当シナリオ」。
パターン2は、結末をひねった「意外な展開シナリオ」。
パターン3は、ひねりにひねった「大ドンデン返しシナリオ」。
その通りの結末になるかならないかは問題外。
満更ではない自分のシナリオとその作品のシナリオとどっちが面白いか競ってみればよい

この「一旦停止法」には副作用がある。
家族が一緒にドラマをみてくれなくなるという弊害はあるが、私はそれでもやめられない。
1時間に最低一回、多いときは数回止める。
読む、見る、眺めるといった受動的な行為のなかにも能動的な関わり方があるので、そうした姿勢でいけば考える力はいつでも鍛えられるはずだ。