その他

「事件を起こして死のうと思った」

「事件を起こして死のうと思った」

●「勉強がうまくいかなかった」という理由で17歳の若者が受験生を襲う事件が発生した。
名古屋市民なら誰もが知っているような有名進学校の生徒だそうだが、親も学校も苦衷のコメントを発表している
だがコメントで終わらせることなく猛省が必要だろう。

●学校は生徒に対して「勉学がすべてではない」と伝えてきたと言うが、事件を起こした若者にとっては「勉学がすべて」だった。
そうでない限り「事件を起こして死のうと思った」などとは考えない。

●コロナ禍によって高校生活に必要な生徒同士の交流の機会が奪われたことも事件の遠因になっているかもしれない。
しかし、それも含めて親や教育者は猛省し、今後の指導のあり方を変えねばならない。
最近、他人を道連れにした大それた事件を起こそうとするケースが増えている。
事件を起こした犯人や犯罪組織など、いわゆるダークヒーロー映画の影響も見逃せない。

●大人のなかにもこの高校生の思考回路に近いものが潜んでいる可能性がある。
たとえば「これを失ったら(たとえば仕事、家族、金銭、健康などを失ったら)自分はおしまい」とか、「私からこれを取れば何も残らない」といった自分の限定の仕方である。
ひとつやふたつ取られたくらいでおしまいだと思う視野の狭さは教育によって変えねばならない。
「自分からこれを取ったらおしまいです」と自分を追い込んだり励ましたりするために使うのはわかるが、度が過ぎると盲目的になる。

●ソクラテスは若者たちに自分の姿を鏡で見なさいと説いた。
そして自分の姿が美しければそれにふさわしい者となるように、また醜ければ、教養によってその醜い姿をかくすようにと勧めた。

●つまり美しくても醜くてもそれにふさわしい生き方があることを説いたわけだ。
美しくありたいと思うのは結構なことだが、美しくなければ生きる意味がないと悲観してしまう必要はない。
ましてや自分が美しくないのを理由に他の人たちを傷つけることがいかに愚かな事であるか。
結果的に自分だけでなく周囲の大切な人をも傷つけてしまうことを教えねばならない。

●偏差値の高い学校の素直な生徒ほど進学だけが自分に期待されている最終結果だと思い込みがちだ。
「当校は歴史ある伝統校で、それは勝者が作ってきた歴史である。敗者なんて当校には不要である」
それが進学校の入学式で生徒たちが受け取る学校からのメッセージになっているのではなかろうか。

●入学早々の緊張感ある段階から学校のメッセージをしっかり伝えよう。
「当校は歴史ある伝統校です。たくさんの挑戦者を誕生させてきた誇るべき歴史です。やれることを思い切ってやる。いつも最善を尽くす。天は自ら助くるものを助くといいます。仮に自分の思い通りの結果が得られなかったとしても、そこで挫けたりくさったりすることなく、そこからまた新しい挑戦を始めましょう。周囲にいるたくさんの仲間のことも大切にしてあげてください。あなたが仲間を助けることで、たくさんの仲間から助けられます。そうした思いやりあふれる挑戦者をたくさん輩出してきたのが我が校の誇るべき伝統であり、皆さんに受け継いでほしい挑戦者精神なのです」

●こうした教育的メッセージは一度で終わらせない。
毎年・毎月・毎週・毎日でも伝えることで生徒の心に根づき、真の伝統になる。

・怠惰にならず努力しよう 怠惰になってもすぐに戻そう
・たえず今日が挑戦の初日。日々新しいチャレンジをしよう
・仲間を大切に、ライバルを敬おう。

そんなメッセージが今の若者に必要だと思う。