馬籠にて
●名古屋駅前の名鉄バスセンターから高速バスで馬籠(まごめ)ま で1時間50分。
「木曽路はすべて山の中である」と『夜明け前』で 藤村が書いたように、もともとは長野県木曽郡にあった馬籠の宿。
2005年の市町村合併で岐阜県中津川市に編入された。
したがっ て岐阜県にある馬籠の売店で信州そばが売られている珍事が今も続いてい る。
「木曽路はすべて山の中である」と『夜明け前』で
2005年の市町村合併で岐阜県中津川市に編入された。
したがっ
●馬籠行きの直行バスは私ともう一人の計2名。
無論、帰りのバス も同じ状況だった。
土日限定で運行しているとはいえ、名鉄バスとして は大赤字だろう。
無論、帰りのバス
土日限定で運行しているとはいえ、名鉄バスとして
●私が馬籠の観光協会に電話し「島崎藤村に詳しい人をお願いしま す」
とお願いしておいたせいか、ガイドのSさんは心配顔で表れた。
合流するなりまずこう聞いてこられた。
とお願いしておいたせいか、ガイドのSさんは心配顔で表れた。
合流するなりまずこう聞いてこられた。
「あのぉ、どの程度の解説をお望みでしょうか?」
「どの程度といいますと?」
「実は藤村のことに詳しい人間が馬籠にもほぼいないものでして・ ・・」
「どの程度といいますと?」
「実は藤村のことに詳しい人間が馬籠にもほぼいないものでして・
●学術的な調査と思われたのかもしれない。
私と同世代とおぼしき 痩身のガイド・Sさんは心細そうである。
「あ、まったく大丈夫です。私も『夜明け前』をおととい読み終え たばかりでして、にわか藤村ファンです」
「だったら私で勤まりそうです。あ~、よかった、心配してました 」
不安で夕べは眠れなかった、といわんばかりの安堵の表情を浮かべ るSさん。
脇にはバインダーファイルを抱え、藤村や夜明け前につい ての資料を集めておいてくださったようだ。
私と同世代とおぼしき
「あ、まったく大丈夫です。私も『夜明け前』をおととい読み終え
「だったら私で勤まりそうです。あ~、よかった、心配してました
不安で夕べは眠れなかった、といわんばかりの安堵の表情を浮かべ
脇にはバインダーファイルを抱え、藤村や夜明け前につい
●「ところで馬籠に住んでおられる方々は藤村や夜明け前のファン が多いのですか?」と私。
藤村のおかげでどれだけの経済効果があったことか。
だがSさんの 口から出た言葉に私は驚いてしまった。
「馬籠全体でも二人ぐらいにしか『夜明け前』は読まれてないんじ ゃないですかね。」
「二人ですか?」
「私もこの街道で生まれ育ちましたが、『夜明け前』の話題をする 相手は一人しかいませんし」
「そんなもんですか」
「はい」
藤村のおかげでどれだけの経済効果があったことか。
だがSさんの
「馬籠全体でも二人ぐらいにしか『夜明け前』は読まれてないんじ
「二人ですか?」
「私もこの街道で生まれ育ちましたが、『夜明け前』の話題をする
「そんなもんですか」
「はい」
●江戸時代のおもかげを残す中山道の宿場町はいまも観光地として
特に馬籠と妻籠(つまご)は『夜明け前』の舞台になっ
したがって最近は『夜明け前』のことを知らずに訪れる客が多い。
『島崎藤村記念館
●時代が変わってしまったのか。
昔の宿場町、藤村の生まれ育った 場所、夜明け前の舞台。
昔の宿場町、藤村の生まれ育った
それだけで人が訪れる時代も終わりつつある 。
馬籠も新しい観光資源の開発を必要としているわけだ。
馬籠も新しい観光資源の開発を必要としているわけだ。
純日本的な 風情が外国人旅行者に喜ばれて、インバウンド客でにぎわってきた馬 籠もコロナで客足が途絶えた。
高速バス客2名というのが現実である
●幸い、街道沿いの土産物店や飲食店は家族経営で無借金のところ が多い。
ご主人は外に働きに出ているので、経営的に苦しいところが 少ないのが救いだ。
だが閉店したまま開かない店もチラホラあり、そ れが街の魅力を削ぐことにもなっている。
●実は藤村についてはネットで調べておいた私。
かなり細かいこと までSさんに話したり質問したりした。
Sさんは若いころ、藤村の研 究家から藤村と夜明け前のことを専門的に学んだ経験があるそうだ。
か なり詳しかった。
図らずも、馬籠の街道で立ち話する格好で藤村談義 をしていたら、予定の時間を30分以上過ぎていた。
「何なりとまた電話してください」とSさん。
「何なりとまた電話してください」とSさん。
私にとって、今回の 旅はSさんのガイドがなければならなかった。
●『夜明け前』で本陣や庄屋を務めた青山家の当主・吉左衛門、隣
この週末 、たまたま目撃した馬籠は、日本全国にある観光地の縮図なのかもし れない。
そんなことを考えながら木曽路の高速バスに身を委ね、家路 についた。