「夜明け前」を読んで
●旅行予定がない連休は長い。今年の連休は文学を読むと決めて、まず『笹まくら』(丸谷才一)を二日で読破。一部の人が絶賛していたので読んでみた。たしかに技法は巧みで文章力も申し分ないが、期待値をあまりに上げすぎていた可能性がある。
●5月に入って島崎藤村にチャレンジ開始。ずっと縁がない作家だと思っていたが縁はつくるものだ。まず『破戒』を読んで衝撃を受け、三日前からは『夜明け前』を読みはじめた。まだ4分の1ほど残っているが、初代ペンクラブ会長だけにおもしろい小説を書く。
16代会長(浅田次郎)的なストーリーテリングの魅力はないが、筆一本で仕事をするプロの作家としての確かさを見せつけられた。時代背景や情景描写の克明さが天下一品なのだ。その時代、その空間、その状況に読み手をワープさせる力がある。
●恥ずかしながら私は島崎藤村のこともよく知らなかったようだ。
『破戒』が提示した被差別部落の問題も、中山道の宿場「馬籠」の本陣を預かる庄屋の仕事のことも知らなかった。
●『夜明け前』は、主人公・半蔵が黒船来航から明治維新にかけての時代の激流に飲み込まれていく(飛び込んでいく)という興味深い設定だ。その半蔵が思想的な拠り所とした「国学」についてもほとんどしらないまま生きてきた自分を発見することができた。
●文学作品は重厚な大河ドラマを一人っきりで観ているような気分になれる。物語の結末も気になるが、なにげない場面やなにげない一文に啓発されることがある。
●『夜明け前』の悲劇的な結末というのがいったい何を意味するのかすごく気になる。
この小説の驚くべきところは、主人公・半蔵は藤村の実父をモデルにしている点。空想話ではないのだ。そうした事実を知っていたらもっと早く読んでいただろうに、と口惜しい気持ちだ。
●『夜明け前』を読んだ人は「馬籠」「妻籠」を訪れたくなるだろう。
私もその一人だ。実は2007年9月、私は家族と一緒に馬籠を訪れている。
しかも「藤村記念館」も訪問し、入り口で記念写真を撮り、館内で彼の業績を辿っているのだ。だが、その時は藤村と縁がなかった。
たいていは売店で本を買う私だが、読んでみたいとも思わなかった。
そのあとの昼食で蕎麦と御幣餅を食べることに気が向かっていたとしか思えない。
●今度はコロナ禍ではあるが、対策を十分にして馬籠に行こう。
旅行のない連休が終わったとたんに旅行の予定を立てるとは妙なものだが、今回ばかりは藤村と半蔵が呼んでいるのだから仕方ない。