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自由主義とキャンセル文化

自由主義とキャンセル文化

●完全な人間などいないと分かっていても、政治家が失言めいた発言をすると「あの人ってこんな人だったの」と失望する。

「貧乏人は麦を食え」(池田勇人大蔵大臣)

「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」
(東日本大震災時、石原慎太郎知事)

「まだ東北でよかった」
(復興省の今村雅弘大臣)

●発言者からしてみれば、発言の一部だけを切り取られてはたまらないことからもしれないが、著名人の発言は切り取られるものだ。
ハリーポッターの作者J・K・ローリング氏も最近、トランスジェンダーをめぐる発言で批判を浴びた。
本人は「意見を撤回するつもりはない」と述べたが、ハリーポッターのダニエル・ラドクリフ氏などが氏の発言を批判し物議をかもしている。

●私も20年以上前にテレビの取材を受けたことがある。
正確にいえば夜の栄を歩いていたらカメラクルーが私の前に群がってインタビューしたのだ。

レポーターが私に細長いマイクを差し出す。
「お父さん、○○テレビの者ですがすぐに済みますのでアンケートにご協力ください」
「(お父さんかい!)いいですよ」
「お父さんの若いころって歌って踊れる場所といえばどこでした?
「歌って踊れる?そうね、カラオケかな」
「いえ、ほら、もっと懐かしいのがありましたよね」
「なつかしい、ですか。・・・歌声喫茶かな」
「いやいや、それは古すぎますよね、ほら、ゴーなんとかってありませんでした」
「ゴーなんとか?あ、ひょっとしてゴーゴーバー」
「はい、ありがとうございました」
その言葉が欲しかった、とばかりクルーは私の前を去っていった。

●後日の放映をみた。
当時流行りだしていた「クラブ」の特集番組だった。
お父さんたちのほとんどがゴーゴーバーを連想するが、今の若者はクラブで遊んでいると報じていた。
私は当て馬にされたのだ。
テレビをみた友人が何人か冷やかしの電話をくれた。

●幸い私の「ゴーゴーバー」発言で信用を失うことはなかったが、今ネットでは一回の失言や過去の発言が蒸し返されたりしてバッシングされることがある。
それによってその人自体がキャンセルされてしまう文化を「キャンセル文化」という。

●芸能界にもキャンセル文化がある。
犯罪行為をしたときは罪を償うまでキャンセルされるべきだが、最近は不倫といったモラルの問題についても世間は潔癖、潔白を求めはじめている。
それによって仕事のオファーがなくなったり活動自粛を余儀なくされる。
これもひとつのキャンセル文化といえる。

●存在を否定するまで攻撃をやめない。
これは危険な兆候だ。
多様な考え方、多様な行動があってそれを許容するのが自由主義文化である。
あの人変ね、と眉をひそめる自由は誰にもあるが、みんなでよってたかってバッシングし、抹殺しないと気が済まないような文化はそもそも「文化」ですらないといえる。