同窓会やクラス会に出席するときは楽しみと緊張とが入り混じった気分だ。だがいったん会場入りすると、あ、伊藤君だ、田中さんもいる、すぐになつかしい級友との思い出話が始まる。
学校の先生は先生らしく、企業の役員は役員らしい口調になっていて戸惑うものの、酒をくみ交わせば昔の彼ら・彼女らが出てくる。
変身ぶりに驚く子もいる。
「あなた誰だっけ?」
「やだ、武沢クン。桐山ですよ、桐山塔子(仮名)。」
「きりやまとうこさん・・・あ、まさか、かるた部にいた?」
「そう、おぼえてる?」
「かるた部にいたおとなしい桐山さんなら憶えてる」
「そう、そのおとなしい桐山よ。」
彼女はエステシャン育成の人気講師として全国の専門学校から講師依頼が舞い込む専門家。本を何冊も書き、ほぼ毎日どこかの学校で生徒をトレーニングしておられるそうだ。
多くの人に見られる仕事をしているせいか、華やいだ空気が彼女を包み込んでいる。
桐山さんの変貌ぶりに驚いていたら、彼女も私の変わりっぷりに驚いていたようで
「武沢クン、雰囲気変わりましたね」
「ほんとですか?何も変わっていないつもりですが」
お互い、自分では分からないがすこしずつ変わっていったのかもしれない。
子どものころは自分の性格や気質がストレートに出せる。外見はもちろん、内面もノーメイクで学校に行き、級友とともに学び、交流した。内向的だった人が、その後の人生も内向的なまま生きたかどうかは一概にいえない。内向的というのは基本的な性格のことだが、社交的に生きることは生き様の問題なので自分で選ぶことができる。
臆病者が冒険家になることだってできる。いや、臆病者だからこそ臆病者らしさを活かした冒険野郎になれるのだろう。
日本が世界に誇る冒険家・植村直己氏(1941年-1984年)は「僕は怖いんです」とテレビでも告白したことがある。
絶対成功すると思えるようになるまでは決して行動しない。だから彼は世界一の冒険家・探検家になれた。
冒険なのだから「絶対」などはあり得ないのは判っている。でも、可能な限り不確定要素を排除する準備をした植村氏。もし彼がいつでも命を捨てる覚悟がある剛胆な人間だったら、もっと早く亡くなっていたか、怖くなって冒険人生を途中でやめてしまったことだろう。
29才で世界初となる五大陸最高峰登頂に成功し、37才で犬ゾリ単独行で北極点到達。同年、犬ゾリ単独行でグリーンランド縦断に成功し、43才でマッキンリー厳冬期単独登頂に成功。
国民栄誉賞まで受けた冒険家・植村直己だが、意外にもこんなことを語っている。
「探検家にとって一番大切なのは安全を確保することです。現代の冒険とは、まず生きて帰ることがすべての前提であって、まず無事に戻れるという条件のなかで、何か新しいことをやってみたいと私は思っている」
命知らずの冒険野郎ではなく、臆病な性格だったからこそ偉大な探検家になれた。性格の弱点を逆手にとることこそ、生き方の達人の極意ではなかろうか。