Rewrite:2014年3月30日(日)
陽明学の聖典といわれる『伝習録』のなかにこんな話が出てくる。
一人の弟子が師の王陽明に向かって考えを述べ、批評をもとめた。すると、かたわらに座っていた別の弟子の孟源が口を挟んだ。「それは私が昔考えていたことと同じことです」
すると師の王陽明は孟源に向かって言った。
「お前の病気がまた始まった」
孟源はたちまち気色ばんで弁解しようとした。そこで師は再び「お前の病気がまた始まった」と言い、おもむろに諭し始めた。
「汝一生の大病根は、名を好む病なり」と。王陽明はこう諭した。
あなたの存在をたとえて言えば、一丈四方の狭い土地に一本のおおきな樹木が植わっているようなものです。その土地に良い穀物を栽培しようと思っても、その樹木の根が邪魔して穀物の生育を妨げる。また、樹木の枝や葉によって日光が当たらず穀物は生長することができない。あなたの存在は、そのおおきな樹木です。すべては、あなた自身の「名を好む病」から発しているのです。
この『伝習録』を愛読していた吉田松陰も晩年に、自らをふり返って「名を好む病」がたびたび発病したことを手紙で反省している。思想と行動の純粋性に欠け、世間からの評判を意識してしまったというのだ。
ビジネスにおいて「名を好む病」とは何だろう。
それは実力以上に自分をよく見せようという、有名になろうという病である。ウシオ電機の牛尾治朗氏は、『無名有力』の時代を経ないで有名になるということは最も危険なことである、と述べている。有名になることがいけない事なのではなく、実力以上に有名になることが危険なのだ。