Rewrite:2014年3月26日(水)
今となっては「そんなバカな」と言えるが、当時の本人にとってはいたって真面目。そんなバカな失敗をしでかしたのは大成功者の一人、ヘンリーフォードである。出典は『現代の経営』(ドラッカー)で文責はもちろん武沢。
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ヘンリーフォードは、自分が経営のすべての実権を握ろうとした。権限を委譲するなど、とんでもないことだと考えたのだ。彼以外の役員がどのような意思決定をするかは、社内の「秘密警察」のおかげで全て知ることができた。そして権限や責任をもちはじめた役員はすべて解雇した。秘密警察長官のハリー・ベネットが出世できたのは、フォードの誠実な僕(しもべ)であり、経営能力をもたなかったからだ。ヘンリーフォードが必要とした人材は技術者だけであり、マネジメントはオーナーである自分だけのものとした。彼は若いころから、会社の所有権と実権はすべて自分が握ると決めていたのだ。
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いかがだろう、今となっては笑い話のような話だが、20世紀の初頭ではこれも立派な経営哲学のひとつだった可能性もある。
いずれにしろ、フォードの経営は失敗した。その結果フォード社は15年かけて自動車のシェアが60%から20%に低下した。さらに倒産説を否定するする人がいなくなるまで凋落した。
私が読んだフォードの伝記では、ヘンリーフォードが考案したベルトコンベアシステムによる大量生産方式は、自動車産業の発展にめざましい貢献をしたとある。自動車が庶民の手のとどく物になったのは彼のおかげと言っていい。彼は、モノ作りとカネ作りでは天才であり、偉大な経営者だと賛美されていた。ものづくりで成功した彼は、同時にヒトづくりで失敗していたとは私も知らなかった。
うまくいかなくなったフォード社は、ヘンリーフォード二世(20歳代)によって再建される。それは、事業部制と目標管理による経営だった。つまり、ヒトづくりに着手し、不死鳥のようにフォードはよみがえったのである。