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O社長(60歳)の転機

40歳で経営コンサルタント業を始めた頃はまだ高度経済成長の余韻
が残っていたせいか、私は経営者に無理難題なことを申し上げていた。
たとえば、
1. 1000万円以下は「利益」といえない!
2. 5年で2倍を目指せないのなら本業を変えるべきだ!
3. 「1」も「2」もできない人は社長を続けるべきではない!

その当時、機械設計事務所を経営しておられたO社長は「1」「2」と
もできていなかった。大手自動車メーカーの設計室を40歳で退職して
20年間コツコツと事務所経営に励んできたOさんは私の話を聞いて耳が
痛かった。
「バブルじゃないんだから5年で2倍なんて…」周囲にそうこぼすしか
なかった。

60歳にして初めて経営計画づくりにチャレンジしたOさんは、まず過
去20年分の実績を一覧表にした。
創業時に赤字を出したことが何度かあるが直近の15年は毎年黒字だっ
た。だが、その金額は武沢がいう「利益といえない」額だった。
時々人を雇ったりするが、技術者として自分も仕事を抱えているの
教える時間がとれない。結局、社員は使いものにならず、一年しな
うちに皆、中途半端のまま辞めていく。
そんな20年の歩みをみて「我が事ながら苦笑するしかなかった」とOさ
ん。
そんなOさんが経営計画講座で、「5年で2倍なんて楽勝です」と腹の底
から言えるようになった。

当時の「経営計画講座」は6回通い型だった。何とかこの講座開催中
に「5年で2倍」の計画を作らねば落第すると思ったOさん。潜在意識の
アンテナが立ち始めたようだ。

ある日のこと、いつもの客先から電話が入った。
「毎度どうも、寒くなりましたね。今日はどんな案件ですか?」とOさ
ん。すると相手はいつもと違うことを言った。
「Oさん、誰か図面が描ける人はおらんかね」
「誰か・・・?」

いつもなら「また図面描いて」と発注する相手がその時は、「誰
描ける人はいない?」と言った。
やり過ごすかもしれない小さなニュアンスの変化をOさんのアンテナが
キャッチした。いつまでに何人必要かを聞くと、懸命に知人に連絡
とり、ひと月以内で派遣の手配を完了した。相手にはいつも以上に
謝された。

その出来事がOさんを派遣業へと導いた。
「私の仕事は図面を描くことではない。図面を描ける人を育てるこ
なんだ」そう悟ったOさんは学校回りを始めた。
「どんな子でもいいです。図面を描けるようになりたい子をうちに
してください」
学歴は特技・資格には一切こだわらず、まじめに努力できる子だけ
毎年数名採用し、戦力にしていった。全員高校生だった。
それ以来、Oさんが図面を描くことはなくなった(ほとんど)。

「5年で2倍なんてバブルじゃないんだから」そうこぼしていた同じ
人が何ヶ月もしないうちに「5年で2倍は楽勝です」といえるようにな
った。

Oさんの教訓:最初の設問が肝心である。

1. 1000万円以下は「利益」といえない!
2. 5年で2倍を目指せないのなら本業を変えるべきだ!
3. 「1」も「2」もできない人は社長を続けるべきではない!

そして過去の経営実績を一覧にする。すべてはそこから始まる。