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「私益」か「公益」か

Rewrite:2014年3月26日(水)

かつて、アメリカのケネディ大統領が、日本の記者に「尊敬する人物は」と聞かれた、記者も知らない「ウエスギ ヨーザン」と答えて話題になった。上杉鷹山(うえすぎ ようざん)江戸時代の米沢藩主である。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。日本の人物を海外に紹介する書物で取りあげられていたこともあり、日本よりも先に海外で有名になった。
その知名度に比べると「シブサワ エイイチ」はまだ海外での知名度が低いような気がするが、日本通のドラッカーなどは渋沢栄一を絶賛している。

明治11年8月、渋沢栄一が三菱創設者の岩崎弥太郎から料亭に招かれた。岩崎は渋沢より6歳年上で、西南戦争の軍需輸送で大もうけし、政商として飛ぶ鳥を落とす勢いであった。岩崎に対抗する海運会社が必要と考えていた渋沢へのけん制が目的のこの会談は、双方の考え方の違いが表れて面白い。

岩崎「僕と君が手を握れば日本の実業界を思うように動かせる。意味のない競合は避けて、手を組もう」

渋沢「競合に意味がないとはどうしたことか。あなたの話は、独占という欲に目のくらんだ利己主義だ。申し出を受け入れるわけにはいかない」

岩崎「君がやっている株式会社制度は、船頭多くして船山にのぼるの類だ。事業というのは、唯我独尊で思いのままにやってこそ醍醐味がある。オーナー企業こそが理想の男の夢である。なぜに株主なるものを集めてまで事業を行うのか」

渋沢「一人の知恵より衆人の知恵。一人の財力より衆人の財力を合併して大商いをなすべしだ」

岩崎「株主を多く集めれば、派閥ができたり主導権争いが生じたりする。会社の利益はまったく社長の一身に帰し、会社の損失もまた社長の一身に帰すべし」

渋沢「事業は個人の私利私欲のためにあらず。広く社会から人力と財力を結集し、公益になることを考えるべし。あんたは小判だの宝石だのを懐に入れてあの世へ行くおつもりか」

ついに渋沢はなじみの芸者を連れて席を立ち、二人の反目はその後、長く続くことになる。
「三菱」というひとつの財閥の繁栄を中心にものごとを考えた岩崎。渋沢は、日本の近代化に必要な産業を選び、あちこちから資金と人材を集めて企業を設立する方法であった。

人間は自分に正直にできている。
自分が必要とする分だけがんばれるのだ。その必要が、私益なのか、公益なのかの違いである。渋沢にも岩崎にも共通していることは、自分に期待していることのスケールの大きさだ。私利私欲のかたまりのような社長がいても、私は否定しない。その分だけ、がんばるからだ。私益も公益も追求しない趣味人のような経営こそ非難されるべきだろう。

あなたが目指すものは私益か、公益か。そしてその必要量は充分に大きいかを問うてみよう。

※これだけを読むと、岩崎弥太郎が悪役のように見られてしまうが、それは本意ではない。資本主義の精神を特徴づけるものの一つに「私有財産を認める」ことがある。私利私欲で仕事をする自由があるし、明治初期という時代背景では、財閥形成は国策でもあった。よって岩崎弥太郎と三菱グループを批判する気持ちは毛頭ないことを補足する。