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肥満と色白が罰せられた国

30代のころ、クリスチャンになったことがある。

「クリスチャンネームを付けてください」と牧師にお願いすると「
約聖書で好きな人は?」と聞かれた。
当時、映画『十戒』をみた直後だった私はモーゼの名をあげた。
(いまは「モーセ」ともいう)
それ以降しばらく「武沢・モーゼス・信行」「武沢・M・信行」と名乗
った。

モーゼの十戒は次のとおり。

1.主が唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3.神の名をみだりに唱えてはならないこと
4.安息日を守ること
5.父母を敬うこと
6.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
7.姦淫をしてはいけないこと
8.盗んではいけないこと
9.隣人について偽証してはいけないこと
10.隣人の財産をむさぼってはいけないこと

5番以降は小学校の道徳で習うような教えである。殺すな、盗むな、
姦淫するななんて、わざわざ宗教家が言うような事だろうかと思っ
ものだ。そうした素朴な疑念は最近まで残っていた。

ところが今月、『ローマ人の物語』(塩野七生)を読んでいて積
の疑念が晴れた。
古代においては法律も道徳もなかったのだ。だから人が人を殺めたり、
盗んだり、姦淫したりしても罰則はなかった。せいぜい追放された
ぶたれたりする程度の罰しかなかったのだ。

モーゼのずっとあと、古代国家スパルタ(古代ギリシャの都市国家)
では盗みや殺人が子どもたちに奨励されていた。軍事国家なので、
をあげて周辺国と戦い、勝利することが目的だった。国民であれば
供も窃盗や殺人が認められ、ときに奨励された。紀元前200年頃の話で
ある。

「スパルタ教育」という言葉は今も残っているが、2200年前のスパ
ルタの人たちは相当攻撃的な生活態度だったようだ。
まず「散歩」は禁止されていた。
時間を惜しむ姿勢は今日の私たちと変わらない。いや、もっと厳し
ったのかもしれない。彼らは一番大事なことのみに時間を振り向け
よう指導された。スパルタ人たるもの、のんびりした「散歩」では
く「鍛錬」によって健康を維持すべきである、と考えられた。
その象徴的が散歩禁止令だった。

母たちも徹底していた。
わが子が戦死したと聞くと、すぐその場に行って遺体の前と後に受
た傷を綿密に調べる。
向こう傷(前に受けた傷)の方が多いと母親たちは誇らしげに、わ
子の遺体を墓へ運んだ。
傷が背中にある(逃げた傷)場合、母親たちは恥じて人目を避けな
ら遺体を運ぶか、ときには、その場に残して立ち去った。

「肥満と色白」も禁止されていた。
それは、鍛錬を怠った証拠だからである。成人男子は必ず10日に一度
は監督官の前で裸になる必要があった。その様子は一般市民も見る
とができた。身体が鍛えられていると表彰され、脂肪がついて太っ
いたら鞭で打たれた。

「貪欲(どんよく)」も禁止された。
誰かの口利きで土地を安く買おうものなら、役所から呼びだされ処
された。これから国を背負って立とうという若輩が、私欲に走った
らである。スパルタ人にとって男らしいこととは、戦場で敵に対す
勇気ばかりでなく、私生活においても誘惑に立ち向かう勇敢さが求
られていたのだ。

今日、「スパルタ教育」という言葉には体育会系のしごき教育だ
を連想するが、以上のような崇高な理念のもとで人が育てられてい
わけである。

(参考サイト:https://www.y-history.net/appendix/wh0102-045.html )

それにしても、肥満も色白も散歩も金儲けも禁止とは大変だ。
そして殺人や窃盗が奨励されていたとは・・・。
時代がかわれば、人に求められるものも大きく変わる。人間はむか
から今のようであったわけではなく、変化してきたことがわかる。
モーゼの『十戒』も不思議ではないのだ。