その他

紋切り型、形無し、型破り

「型」(かた)というものがある。
個人でも組織でも自分の得意な型をもっており、そこに持ち込んで
おうとする。
相撲であれば一瞬の立ち合いを制し、自分の得意な型に持ち込もう
する。
将棋や囲碁も自分の得意な型に持ち込んで勝率を高めようとする一
一手のせめぎ合い勝負だ。
プロ野球でもセットアッパーとクローザーによる勝利の方程式で虎
子の1点を守り切ろうとする。
強い個人、強いチームであればあるほど、得意な型が確立されてい
ものだ。

ハートの形をしたクッキーをつくるにはまずハートの型を用意する。
菱形なら菱形の、四角なら四角の型が必要だ。
型がないとどうなるか、それは「形無し」といって、本来の面目を
ったく失って困ったことになる。

むかし、着物に家紋を染め抜くために染物屋は家紋の型をたくさ
用意した。それが語源となって「紋切り型」という言葉がうまれた
いま「紋切り型」は型どおりでつまらないとか、融通がきかないと
った、好ましくない意味で使われることが多い。
「あの店の対応、なんか紋切り型だよね」とか「あの人のメール、
切り型でつまんない」といった具合である。

「雨が多くてヤですね~」と今朝のタクシードライバー。それは
うべのタクシーとまったく同じセリフだ。おそらく今どき用の紋切
型挨拶なのだろう。

使う側としては「紋切り型」は楽である。考えなくていいからだ
だが一流のプロになると「型」も「紋切り型」もすべて知り尽くし
上で、型を破ってくる。それが型破りである。型破りはおもしろい

先週サンーク出版の植木宣隆社長の講演をお聞きしたが、そのな
で、「私の履歴書」(日本経済新聞の連載読みもの)を連載初日で
定める方法というテーマがあった。
『私の履歴書』を読んだことがない私だが、著名人だからと我慢し
毎日読んでも結局つまらないまま終わる履歴書があるのだろう。
膨大な活字を毎日読んでおられる植木社長が「読むべきか」「読ま
るべきか」の判断基準をどこに置いているか、非常に興味深い。

結論を先に申し上げると、「紋切り型」か否かである。
紋切り型で文章を書く、あるいは紋切り型で物語を語ろうとすると
そこにはあるいくつかの共通の現象がでてくる。植木社長はそれを
つけ、連載初日にその点を見抜いてしまうというのだ。

それは植木社長のところに持ち込まれる原稿(ちなみにサンマー
出版では持ち込み企画を本にすることはほとんどないらしい)をじ
くり読むか、読み飛ばすか、そもそも読まないかの選択基準と「私
履歴書」を見定める基準と同じはずである。

こんな舞台裏のお話、公表してよいのだろうか?気にはなるがあす
公表してしまおうと思う。責任は私が負う。

<つづきは明日。お楽しみに!> ← これも紋切り型かもしれない。