ウィークリー雑感

ウィークリー雑感

昨日は桑名(くわな)に出向いた。桑名市は三重県北部に位置し、
名古屋駅からJRまたは近鉄で約20分。
「桑名の殿さん 時雨で茶々漬(ちゃちゃづけ) ヨーイトナー 」と唄
われるように時雨(しぐれ)で有名な街である。
時雨の材料は、近海で獲れるハマグリ、アサリ、シジミなどであり、
どれも個性があって美味い。
桑名の産業といえば長いあいだ「鋳造」(鋳物製品の製造)だった。
これには歴史がある。江戸時代・徳川家康の家臣・本多忠勝が桑名藩
主となった際、この地で鉄砲の製造を本格的に始めたのが起源といわ
れている。
鉄砲以外に、灯ろう、梵鐘、農具や鍋などもここで作られた。明治、
大正、昭和にかけて鋳造といえば「東の川口、西の桑名」と呼ばれる
ほど桑名の鋳造産業は発展した。
今も桑名駅を降りると「鋳物の街くわな」の看板が目に飛び込むし、
桑名市民会館の入り口には威風堂々たる石碑に「鋳造報国」と彫られ
ている。
昨日、私が桑名に来た用事は小林旭コンサートである。
小林旭をご存知だろうか。
にっかつ映画全盛期に石原裕次郎と人気を二分した小林旭。美空ひば
りと結婚し、後に離婚。公私ともに日本中から注目された。結婚報道
に新聞社の号外が出されたのは美空と小林のカップルが最初だそうだ。
小林は役者だけでなく歌手としても成功し、『北帰行』『さすらい』
『熱き心に』『昔の名前で出ています』など数々のヒット曲をもつ。
彼らが大活躍した昭和30年代から40年代にかけては、私がまだ学生
だったこともあり、実はあまり当時の記憶がない。私より10歳ほど年
上の方が毎週のように映画館に通って彼らを追いかけ、レコード盤を
買って歌声にしびれていたようだ。私は裕次郎の甘い歌声よりは、小
林旭の無骨な声が好きで、いまでも時々くちずさむ曲がある。
そんな小林旭が桑名に来るとあれば行かずばなるまい。ネットでチ
ケットを手に入れ行ってきた。
駅から徒歩15分の桑名市民会館はすでに満席。想像したとおり大半の
お客が私よりすこし年配のファンで6割が女性だろうか。
「往年のスター」とはいっても小林はすでに御年80歳。
プロの歌手でもステージから遠ざかるとあっという間に声量が落ちる。
プロ野球の始球式などでも、過去のスターたちの衰えた姿をたくさん
見ているだけに、私も内心で「小林旭の面影だけでも感じられればそ
れでいい」程度の期待でここに来ていた。
定刻13時30分きっかりに幕が開いた。いきなりステージ中央に立っ
ていたのは小林旭だった。小林は10人のバンドメンバーを後ろに従え
ていた。
「桑名の皆さま、今日はわざわざここまで足をお運びくださり、本当
にありがとうございます。小林旭です。今日はどうか、お時間の許す
かぎり存分にお楽しみ下されば幸いです」と小林自ら挨拶。
無骨で言葉少ない役者という印象だったが、見事な挨拶のあと歌に入
った。
一曲目は私が知らない曲だったが周囲のファンはよく心得ている。
手を振ったり相の手を入れたりして小林を盛りあげる。
私が驚いたのは、小林の歌唱力だった。まったく衰えていないどころ
か、彼の全盛期は今なのではないかと思うほどの声量と音程の確かさ
である。
結局は彼は休憩もとらず、水を一滴も飲まず、2時間のステージをた
ったひとりで歌ってしゃべってファンを楽しませ続けた。もう一度言
うが、御年80にしてである。この体力と気力、サービス精神こそ小林
をして大スターにしたものだと思う。
「往年のスター」という代名詞は小林旭には似合わない。今なお彼
は大スターである。
無条件に元気をもらいたければ、小林旭コンサートにあなたも行くべ
きだろう。幸い、まだたくさん日程が残っている。
★小林旭コンサート https://yumecon.jp/y-017/