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イエスマンかノーマンか、それとも・・・

会社勤めしている時、ひとりの先輩から貴重な助言をたくさん受けた。
・とにかく本を読め
・身銭で日経新聞を買って読め
・海外旅行しろ
・貯金より自己投資だ
・酒と女にはおぼれるな

その先輩は私よりたった一つ年上なのだが、アドバイスの内容は10歳上と思えるぐらい成熟していた。
ほとんどアドバイスに従ってきたつもりだ。

その先輩の助言のなかに一つだけ毛色の異なるものがあった。
「イエスマンにはなるな」というものである。

「たとえ間違っていてもいいから、自分の意見をしっかり述べろ。そうしないとお前という人間は素直すぎてどんな上司に対してもイエスマンになってしまいそうだ」と深夜のファミレスで言われた。

チキンバスケットを食べながら、「なるほどそういうものか」と思った。
だがこちらは20代の世間知らず。
一回りも二回りも年長の上司を前にすると緊張してしまい、自分の主張などできるものではない。
それに社長も上司も尊敬していたので、あまり衝突する場面がなかったのも事実である。

コンサルタントの仕事を始めたら、お客さんである経営者も私に同じことを言った。
「イエスマンは要らない」と。
そうか、やっぱりイエスマンは要らないのだ。
ノーマンが大切なんだとそのとき感じた。

だが、そもそも「イエスマンかノーマンかの二者択一ではない」ことを後になって気づいた。
意見が少し違うぐらいのことで相手と対立する必要なんかない。
治討論か討論バラエティでは、小さな意見の相違点をムキになって議論しているが、現実に経営をやるときには意見の違いなど日常茶飯事

経営者は私の依頼主であり、私の助けを必要と思っていただいている。
その相手に対して「社長、違います」「社長、それには反対です」といちいち言っていたら邪魔になるだけだ。

良い会社を作りたい、良い経営者になりたいというベクトルさえ合っていれば、方法論の違いは大同小異で何とでもなる。
結果的に私は大抵のことは社長の考えに同意したし、自分の意見も通してきた。
互いに強くなるためにタックルしあうことはあるが、一触即発の「対立」感情をもったことは一度もない。

現実問題として良い会社にはノーマンがほとんどいなく、イエスマンが多い。
なかには最近お会いした製造業の N 会長のように、「うちにはノーマンは一人もいらない。大企業ならいざ知らず、中小ベンチャー企業にノーマンがいる利点って何ですか?ノーマンのメリットなんかうちにはひとつもないですよ。いてもらったら足手まとい。ただ、それだけにイエスマン同士が暴走しないように自衛する必要はある」という考えもある。

コンサルティングを頼みたいと思われる経営者の多くも、ノーマンを期待してのことではなく、イエスマンを期待しておられる。
「社長、ごもっともです」と手放しで社長の考えを支持する「単純イエスマン」ではない。
「社長、その意見はとても面白いし私も賛成です。それを実現するにはこれが必要ですし、それに関してはこんなやり方が考えられます」と付加価値を付けたイエスマンが欲しい。

「イエスマン」か「ノーマン」かの二択ではなく、「付加価値イエスマン」をめざす手があることを忘れないでおこう。