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歴史的・文化的な壁を乗りこえる方法

サッカーだけが人種や宗教の壁を乗りこえられる。
貧富の格差さえも乗りこえ、親を喜ばせられる唯一の手段だと知った子どもは、ボールをひたすら追いかけ、ボールを奪い、点を取り、ゴールを守ることに命をかける。
遊びではない。
戦争だ。

生存の手段がサッカーである少年と、親にお金を出してもらってサッカースクールに通っていた少年がピッチでぶつかればどちらが勝つかは自明である。
初めて日本がワールドカップに出場した20年前は、その自明の理を痛いほど見せつけられた。

だが、そうした文化や歴史の違いを日本代表選手は鍛錬で乗りこえつつある。
積極的に海外に挑戦し、海外の壁に跳ね返されても挑戦し続けてきた日本の意地が花開きつつある。
結束力やチームワーク、組織への献身性という点では外国よりも強みをもつ日本が、世界のサッカーに新しい流れを生みだす可能性すら感じられる大会だった。

本田、長谷部、酒井(高)選手が早々に代表引退を表明した。
れ以外の選手は「まだやる」と言っている。
それら「まだやる」選手を代表から追いやる若手が何人現れるかが4年後の日本の成果を決める。
それに、忘れてならないのは、4年後の大会に出られる保証すらないこと。
イタリアやオランダだって今大会に出られなかったのだから。

大岡越前は、「原価に利益を乗せる商人の存在はけしからん」と商人たちを断罪した。
一方、ユダヤの商人シャイロックは金貸し業でのしあがり、肉1ポンド(453グラム)を借金の担保にとった。

ユダヤ人はキリスト教徒から迫害され、仕事の選択肢がなかった
許されていた数少ない職業のひとつが金貸し業だった。
そのことが金融に強いユダヤの歴史につながるのだから、妙なものである。

生存のために利息や利益を取るユダヤ人。
利益を蔑視し、むしろ足らないことを誇りにする武士道。
この両者が市場でぶつかればどちらが勝つかは自明である。
サッカーのように、鍛錬と挑戦で歴史的文化的な壁を乗りこえていくしかない。

我々はもっともっと積極的に海外へ出よう。
自分が無理なら、せめて息子・娘の世代には海外挑戦をさせよう。
仮に海外よりも日本国内の方がチャンスが大きいという結論が出たとしてもいいではないか。
そのときは日本が世界一魅力的な市場と判断したのだから。
海外挑戦を避けて通るのにくらべて雲泥の差がそこにあると思う。