Rewrite:2014年3月22日(土)
東洋人物学・政治哲学の安岡正篤(やすおかまさひろ)氏の書にこんなくだりがあるのを見つけた。
周の時代に生きた劉峻という人に「広絶交論」という論文がある。だれかれなく絶交するという、面白くかつむずかしい論文だそうだ。まず、作者は人と人の交わりを大きく二種類に大別している。
「素交」・・・裸の交わり、人間の生地のつき合いのこと。
「俗交」・・・利益を期待した交わりのこと。
そして「俗交」にも5種類の交わりがあるという。
◇「勢交」・・・相手の勢い、勢力との交わり
◇「賄交」・・・儲かる相手とつき合う、あるいは金を出させる交わり
◇「談交」・・・マスコミなどとの交わりで、名声をあげ、自己宣伝に期待する交わり
◇「量交」・・・相手の景気次第であっちへ行ったりこっちへ着いたりする交わり
◇「窮交」・・・首が回らなくなり、あそこへ行けば助けてもらえるだろうという交わり
作者の劉峻は、これらの世俗の交わりは人間と人間、精神と精神がむすびつくのではなく、手段的な交わりゆえに、すべて絶交するという。裸の交わりのほうは、お互いに名もなく、金もなく、同病相憐れむ、同窮相憐れむだ。だから正味の交わりができるゆえに本当の交わりができるというのだ。
時代背景がこの当時と大きく違うので、この作者のように、「俗交」自体を否定することはできないと思う。しかし、ビジネスだから俗交で良いんだ、とも言い切れない。むしろ社員との関係も顧客との関係も素交に近づける努力が必要なのではないか。
所かわって日本では、関ヶ原の合戦前に、大谷吉隆が盟友の石田三成に手紙でこう書き送っている。これも金銭と人間関係に関する友への忠告だ。独自に要約すると、
「最近の君は、金を大切にしすぎで、人にも金さえ与えれば何とでもなると思っているようだ。家人(家族や部下)にもことごとくそうしているように見える。はなはだしく心得違いをしているようだ。主人が貧しい時には、おのずと礼儀を厚くし、人を尊ぶので、家人もそれに応えてくれる。やがて主人が豊かになり、給与をたくさん与え、気前もよくなる。すると、部下は、”これくらい働いているのだからそれ位もらって当然”と思うようになる。はじめは、その家に望みをいだいて来た者も、後には希望を見失い、貧しき主人が礼儀厚かったころよりも働いてくれなくなるものだ」
という手紙だ。
この主人を社長と置きかえてもよい。リーダーたるもの、社員や家族への接し方において原点を忘れてはならない。