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賢者とはなにか

「明日のレースにウチの馬が出るけど、絶好調なのでちょっと面白いかもよ。人気薄だしね」
あるパーティである馬主にそう教えられた。
さっそくレース名と馬の名前を聞いた私は次の日、ネットで馬券を買ってみた。すると何千円かのお金がわずか2分で何十倍かになった。

先日の札幌セミナーに競馬の関係者が参加された。サラブレッド生産牧場で強い馬作りを指導するコンサルタントの H さんである。
私の競馬武勇伝を聞いた H さんは笑いながらこう言った。
「競馬界では、馬主や調教師の情報ほどあてにならないものはない、というのが通説ですよ」

要するにたまたま当たっただけのこと。二匹目のドジョウは狙わないほうがよいらしい。

馬主や調教師とて、知っているのは自分の馬の今日の調子だけ。本番のときの調子は分からないし、他の馬の情報はほとんど知らない。
だから馬券が当たる確率は素人と大差ないのであろう。

何かに精通しているからといって、すべてを知っていると思わないほうが良い。そのことを最初に指摘したのはソクラテスだろう。
中学か高校のときの課題図書で『ソクラテスの弁明』(プラトン著)を読んだ。その本にこんなエピソードがある。

ソクラテスの弟子が、アポロンの神託所で巫女にこう尋ねた。
「ソクラテス以上の賢者はあるか」
すると巫女は「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えた。それを聞いていたソクラテスが驚いた。
自分はなにかにつけて疎くて賢明ではない、と自覚していたからだ。

巫女の言葉を信じることができないソクラテスは、その神託が間違っていることを証明しようと考えた。世間で評判の賢者たちに会って問答すれば、たちどころに自分が劣っていることが証明できるはずだ。

「賢者」と評判の政治家や詩人、人間国宝級のベテラン職人などに会って議論をはじめたソクラテス。
すると「賢者」と評判の人々は、自分が語っていることを実はよく理解しておらず、ソクラテスの方が、専門家である彼らに説明するはめになってしまった。
技術に熟練した職人達にいたっては、その技術については知者ではあるが、専門外の事柄についてはまったくの素人だった。だが、自分はあらゆることに精通していると彼らは思い込んでいるのだった。

馬主も調教師も賢者ではない。あなたより何かを知っている可能性はあるが、その人の発言を信じて貴重なお金を投ずるのは危険だ。

では、「賢者」とはどういう人を指して使うべき言葉なのか。

<あすにつづく>