★テーマ別★

映画「関ヶ原」をみて

小学校も中学も高校も、いずれの校歌にも出てきたのが伊吹山(いぶきやま)。そのふもとに関ヶ原(せきがはら)がある。日本屈指の豪雪地帯であり、東海道、中山道などがクロスする交通の要衝でもある。関ヶ原を東に向かうと垂井、荒尾、美濃赤坂そして大垣。私が生まれ育った大垣は戸田家10万石の城下町で、水の都といわれている。

今から417年前の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)、関ヶ原を主戦場として行われた野戦が「関ヶ原の合戦」である。
家康率いる東軍と三成率いる西軍が天下分け目の決戦を行った。

子どものころにできた「関ヶ原ウォーランド」にも何度か親に連れていかれた。
一万坪の敷地に造形作家がつくった等身大の戦国武将が240体以上。
子どもの私は歴史に興味がなく退屈な場所だったが、もう一度じっくり見物したいと思っている。

★関ヶ原ウォーランド
→ http://www.rest-sekigahara.co.jp/war_land/

この戦いで勝利した家康が3年後に江戸幕府をひらき、戦国時代に幕をおろし、その後、260年つづく江戸時代がはじまった。

この週末、岡田准一主演の映画『関ヶ原』を観てきた。
三成を「義の人」と位置づけ、主君秀吉の家系存続のために尽くした忠義の士、ラストサムライとして美化している。
一方、家康は天下統一のためには手段を選ばぬ老獪(ろうかい)な人物として描いている。その二人の対比と対決がおもしろいわけだが、忠義だけでは歴史を動かせないことを証明した戦いでもあった。

(以下、映画のネタバレを含みます)

とてもすばらしい映画なのだが、気になる点がふたつある。
なぜ朝鮮人が活躍?と首をひねる場面が出てくるのだ。原作者の司馬遼太郎作品にもない話題が創作されるのはよいとしても、映画の大切な場面で朝鮮語を話す兵士がヒーロー扱いで登場するのに違和感があった。そこには誰か知らないが、制作者の作為を感じる。

関ヶ原の合戦当時つかわれていた大砲は大筒(おおづつ)という程度のもの。爆弾が破裂するわけではなく、鉄製の球が敵方の構造物を破壊するのに用いられていた。それが後の時代の本格的な大砲みたく大爆発する光景にも違和感があった。

そのふたつを差し引いても100点満点をあげたい映画である。

事前にチェックした Yahoo!映画の評価がさほど高くなく、コメントも辛口なのが多かったせいで期待値が下がっていたのかもしれない。
黒澤明監督を師と仰ぐ原田眞人監督の作品らしく、黒澤作品をほうふつとさせる重厚な構図や細部へのこだわりで戦国の臨場感がたっぷりだった。
キャスティングもよい。大物役者ばかりを起用しているわけではない。
むしろ、あまり見たことがない役者が重要な役を担っており、それぞれが人物になりきって見事だった。
歴史に興味がないという家内も95点を付けたが、私は121点をあげたい気分だ。

この当時の戦は互いに宣戦布告をしない。従って密偵を放って互いの情勢をさぐりあうのが常で、忍者などもかなり活躍した。
関ヶ原の合戦も「9月15日に関ヶ原で勝負しよう」などと話し合って行われたわけではない。自然にそうなったのである。そしてここを主戦場として想定していたのは石田三成であり、布陣において先手を打つのに成功した。

明治時代初期、陸軍大学校の教官に招かれて来日していたドイツ軍人メッケル少佐は、関ヶ原での布陣を見るや「西軍の勝ち」と即答した。
そんな三成軍がなぜ負けたか。小早川秀秋の寝返りや毛利軍や薩摩軍の傍観など予期せぬできごとがあったわけだが、そうさせた伏線がある。したがって関ヶ原の前の段階ですでに決着はついていたと見るむきもおおい。
6時間で決着した関ヶ原を映画で2時間半でみよう。実際の戦闘シーン
は30分弱だが、その前の2時間の政治的戦争がおもしろい。
もう一回ウォーランドに行き、それから劇場でまた見てみたい。