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魅力

会社の雰囲気は社長の性格を反映する。会社の中に一歩入ると、ほぼ社長の人柄が想像できてしまう。
青年会議所や同友会、商工会議所といった地域ごとにある経営者団体も活性化している所とそうでない所とでは、リーダーが違う。リーダーに魅力があれば、集まる人が増える。優秀な人が協力者としてリーダーの周りに集まり、やがてお客(新規会員)もその周りに増え始める。その原理は企業経営でもまったく同じだ。愛されるリーダー、好かれる人間とは何だろうか。

親が子を愛するとき、どんな理由で愛するのだろうか。

完全無欠な人格と、あふれるばかりの才能があるから我が子を愛するのだ、という親はいまい。

「うちの小六の男の子は最近すぐに私に反発して『ウルサイ!』なんて言うのですよ。」とこぼす母親。そのひとみは愛情にあふれている。

欠点があっても大丈夫。いや欠点がないとつまらない。肉でも骨にこびりついた部分が旨いように、人間も欠点の真横にある魅力の部分がたまらなく良いようだ。

ゴリアテを倒したダビデはたちまちイスラエルの英雄となった。国王サウルはダビデを召し抱え、出陣のたびに彼を重用するようになる。王の期待に応え、ことごとく勝利を収めるダビデ。やがて町中の人たちが彼を英雄とたたえ、彼に熱狂した。その愛され方は昨日来日したときのベッカム騒動なみであったにちがいない。

ダビデは強いヒーローというだけでなく、生涯にわたって人に愛される独特の魅力をもっていたようだ。そのダビデの人間性はどうか?完全な人格をもち、性格も完璧かというとそうでもない。欠点がある。過ちも犯し、挫折も経験し、深刻に悩んでもいる。にも関わらず男女をとわず彼に惹きつけられ、彼を愛してしまう人が後をたたなかった。それどころか、どうだろう、神が彼を愛し続けたのだ。

聖書の文学構造「サムエル記」 http://saiwai.net/samuel00.htm

聖書の話が出たので、今度は論語に目を向けよう。

世の中には賢いやつはゴマンといるが、馬鹿っぷりが見事な人は滅多にいない。孔子は論語のなかでこう語っている。

「その知及ぶべし、その愚及ぶべからざるなり」

その意味は、彼の賢い点は真似ができるけれども、馬鹿っぷりに至っては到底まねができないとなる。孔子が彼の愚の見事さをほめたたえているのだ。

ダビデにも論語の「彼」にも共通する人間の魅力。それは次の五点ではないかと私は思っている。

1.強みがある(長所)
2.弱みがある(短所)
3.それらを隠そうとしない(裏表なし)
4.賞賛されても馬鹿にされても何とも思わない(無私)
5.余人があずかり知らない上位次元の何かを求めている(孤高)