先週の土曜日、岡山で「特急やくも」に乗りかえて米子へ向かった。ほぼ満席で、私の隣もすぐに埋まった。若い女性が大きな荷物を三つも抱えていたので、荷物棚にあげるのを手伝った。そのあとは何もなかったかのように Mac にむかってキーボードを打っていると、
「あの~、それって何かの原稿ですか?」と彼女。
「これですか、これは本の原稿です」
「ということは小説家の方ですか?」
「小説家というか、作家というか、それらの志望者というべきか、とにかく毎日、何かの原稿を書いてます」
「よろしければお名刺をいただくことは出来ません?」
「いいですが、どうされるんです?」
「今書かれているその本が売れたら私も買いますし、友達に自慢するんです」
「ほぉ、それはありがとうございます。そんな日が早くきてほしいですね」
名刺を差し上げると大切そうに手帳に挟みこんだ。本のタイトルを聞かれたので、「まだ未定です。とりあえず『ウオダイ物語』という仮の題をつけています」と言うと、それも手帳にメモしていた。「お邪魔しました、お続けください」と女性は両手を Mac の方に向ける仕草をし、リクライニングを倒して雑誌を読みはじめた。
どうやら旅行者ではなさそうだ。このあたりの住民か、あるいは帰省者だろうか。気にはなったものの、私は原稿づくりを急がせた。1月 25日(土)、26日(日)の米子セミナー&出雲・松江の旅は、そんな出来事からはじまった。
メインイベントは松江での「三巨匠セミナー」だが、まず今日は、旅のこぼれ話の方から書いてみたい。
1.ベタ踏み坂を登った
ダイハツのコマーシャルで一躍有名になった「ベタ踏み坂」。車のアクセルをベタ踏みしない限り登れない。だがダイハツのタント・カスタムならベタ踏みの必要がない、という CM なのだが、私はてっきり急勾配の坂を CG で作っているものだと思い込んでいた。ところがあの坂が実在し、しかも今回の旅でその坂を通ることになるとは予想もできなかった。おまけに現地の橋原さんに「武沢さんはこの坂を去年も通ってますよ」と笑われた。鳥取県と島根県にかかる「江島大橋」が正式名称である。そのことを
Facebook で報告したところ、岡山の池本さんが、「数年前にも私がそこをご案内していますよ」といわれた。「ベタ踏み坂」という強烈なネーミングでも付けてもらわないと人間の記憶なんてかくもあいまいなものである。
★ベタ踏み坂の CM
http://matome.naver.jp/odai/2138832688690964701
2.ゲゲゲの鬼太郎 メロディロードを通った。
車が通るとメロディが流れる道がある。鳥取県境港市佐斐神町の県道米子境港線の 333メートルの区間では、車が通ると「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマ曲が奏でられる。「まんが王国とっとり」を PR するため、鳥取県が約 1,100万円(道路補修費含む)をかけて導入したもの。アスファルト舗装路面に幅 10ミリ程度、深さ 6~9ミリ程度の溝を音階ごとに決められた間隔で削ることで、車走行時のタイヤの摩擦で音が出る仕組み。法定速度は 60キロだが、時速 50キロで走るとよく聞こえるように設計されている。「設計速度が 50キロなので速度低減につながり、振動で眠気防止にもなる。磨耗に強いアスファルト合材を使っているので 2~5年はもつだろう」ということだ。メロディの様子はこちらの YouTube 動画にあるが、意外に聞き取りやすくできていて思わず興奮してしまった。
→ http://www.youtube.com/watch?v=isKzQVpZYPU
余談だが、全国各地にもメロディロードがあるようだ。その情報はこちらに詳しくある。
→ http://matome.naver.jp/odai/2132789047450282501
3.松江城の国宝化問題
現在、国宝に指定されているお城は「姫路城」「彦根城」「松本城」「犬山城」の四つ。建てられた古さでいえば島根の松江城は全国屈指の古さを誇るが、それでも国宝にはいたらず重要文化財となっている。今、現地を中心に「松江城を国宝に!」と気運を盛り上げていて、ひょっとしたら指定されるときが来るかもしれない。 実はこの松江城、昭和 10年に一度「国宝」に指定されているのだ。だが、昭和 25年に制定された文化財保護法によって重要文化財に指定替えを受けているのだ。幻の国宝、といえなくもない。
4.松田 龍太郎さん
ドイツ企業にものづくりをコンサルティングされている松田龍太郎さんは鳥取出身。今はデュッセルドルフに住まいがあり、ドイツを中心にヨーロッパ全土で活躍中である。今回の米子セミナーは松田さんがちょうど一時帰国していたタイミングと重なり、出席が可能になった。ヨーロッパの製造業でものづくりを教え始めたころは、「どうして日本人からものづくりを教わる必要があるんだ」と誇り高きテクノクラートたちから訝しげな目で見られたという。ドイツ人相手にコンサルティングの仕事をしてご飯を食べるためには圧倒的な情熱と、最後にはジョークと笑いしかない、と松田さんは自らをショービジネスのパフォーマーと位置づけた。
ものづくりに関する深い造詣をベースに、表面は熱いパフォーマーを装うことでドイツ人の心をつかんでいった松田さん。「自分のコンサルテーションは、ショーのようでなければならない」と松田さんはかけ出しのころ、人気落語家を鳥取に招いて笑いの研究をしたという。当時、絶大の人気を誇っていた桂米朝や枝雀を招いた。落語の高座を開催したあと、落語家を宴席に招待する。実はそこからが松田さんの研究の始まりだ。落語家がご飯を食べ、酒を飲むとき、どのように振る舞うのか注目した。米朝は高座のときも宴席でもまったく様子が変わらない。要するにいつも飄々としておもしろい。ところが枝雀は高座でこそ聴衆を爆笑させるが、高座を降りたとたんにまじめ一徹で冗談をいわない。「高座にあがっているときが枝雀」というポリシーでもあるのだろうか。松田さんは両極にあるこの二人からプロフェッショナリズムを学んだ。
<明日につづく>