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韓国海苔と赤ワイン

会議が 5時に終わった。家に帰るには早すぎる。オフィスに戻るのも遠まわりだ。そうだ!前から気になっていたパブに行こう。
カウンターに腰かけ、ギネスとパルミジャーノチーズを注文した。本を読もうか、それともひたすらビールを楽しもうか。せっかくだから、「この事態をどう受け止めるべきか」をビールを飲みながら考えることにした。カバンからノートとペンを取り出す。

2月 21日は大阪で、27日は東京でセミナーを開催するが、いずれも集客が芳しくない。そもそもこの仕事を始めて 20年になるが、一貫してセミナーの集客には苦労してきている。たまに満席になることもあるが、たいていは予定人員を下回る。昔のようにセミナーにあまり自信がないころなら開催をやめれば済む話だが、今はそうでもない。できれば毎月のように何十人か集めてセミナーをやりたい。ネタはいっぱいある。低調な集客ではおもしろくないのである。

なにか考えるときには必ず紙とペンを用意する。ビールやワインを飲むときもそれは変わらない。これがないと、思考が頭のなかで堂々巡りし、かえって悩みを深めたり、自分を責めるだけで終わりになってしまうのだ。もしそこに酒の力が加わろうものなら、典型的なやけ酒となる。幸い、グチをぶちまけながらやけ酒をあおるという経験が一度もないのは、紙とペンのおかげといえるだろう。

●「お待たせしました」
T シャツにジーンズといういでたちの女店員がカウンター越しにビー
ルを手渡してくれた。かなり若い、学生だろうか。あとで聞いてみよ
う。
「パルミジャーノもすぐにお持ちします」
「ありがとう。あ、そういえば少しお腹も空いてるんだけど」
「でしたら、バケットやチョリソーも人気ですよ」
「じゃあチョリソーを」

黒くて苦いギネスを三口ほど飲み、セミナー事業で成功している人たちのことを思い出した。あの人のセミナーは毎回満席になるそうだ。そういえばこの人も告知したその日に満席になると聞いた。「満員御礼!」「残席 2!」など、威勢の良い告知をよく見受ける。なのにどうして私がやるセミナーは空席だらけなのか、うらやましく思ったり、世間が間違っていると思ったり、彼にあやかって、やり方を真似してみようなどとと卑屈な気持ちになったりした。いかんいかん、紙とペンを使って考えよう。

「お待たせしました」とパルミジャーノが来た。こいつとギネスがよく合うことは R 君から聞いていた。そのとき、私も R 君へのお返しにと、相性のいい組合せを教えてやった。「赤ワインに韓国海苔が合う」という世紀の大発見をお教えしたのである。だが、あいつは「ひどい組合せだった」とメールを寄こした。たしか、家内も「それほどうまくない」と言っていたが、あの良さが分かるや
つは少ないのだろうか。

パルミジャーノをほおばり、ギネスを流し込む。R が言うように、たしかにうまい。いい組合せだ。だが、そもそも、ビールと相性の悪い組合せってあるのだろうか。私のように冒険的な組合せを教えろと今度 R に言ってやりたい。それにしても、さっきまでの会議ではよく話した。身体が相当渇いている。みるみるギネスが身体に吸いこまれていくようだ。お替わりを注文してから、一枚目の紙のタイトルスペースにこう書いた。

「1.どうしたら私のセミナーが毎回満席になるか?」
つまり、セミナーを成功させたいという前提での問いかけだ。

二枚目の紙のタイトルスペースにはこう書いた。
「2.なぜ私はセミナーをやるのか」

三枚目の紙のタイトルスペースにはこう書いた。
「3.セミナーをやめて別のことに集中してはどうか」

これで考えるべきことの大枠ができた。あとはそれぞれのスペースに思いつくことを書いていくだけだ。適度なアルコールが発想を柔軟にしてくれる。

「お仕事ですか?」さっきの彼女が二杯目のギネスとチョリソーを運んできてくれた。「いや、ちょっと頭の整理をね」「へぇ、そうなんですね。がんばってください。こちらのチョリソーはメキシコ風味なので、かなりピリ辛でしたが大丈夫ですか」「ありがとう。辛いのは好きだから」

実はチョリソーがどういう食べ物か知らなかったが、ウインナのことだろうか?さっそく iPhone で調べてみた。すると、本来はスペイン料理だが、彼らが中南米を植民地にしていたころ、これがメキシコに根づき、唐辛子入りのスパイシーなチョリソーになったという。本家スペインのチョリソーには唐辛子が入っていないので辛くないとあった。

「ふ~ん、それがチョリソーというものか。”ピリ辛でしたが大丈夫ですか”って、本来最初に聞くものだろ」そう思うと彼女に対する興味がやや失せた。話しかけるのはやめて、自分の考えに集中することにしよう。

チョリソーを一口かじったら、本当に辛い。口の中が真っ赤に染まっていくような気がした。あわててギネスで流し込み、そのあとにパルミジャーノをほおぼった。すると、先ほどは感じられなかった、ほのかな甘みが口中に広がった。「うん、いける」

チョリソーの辛みを苦いギネスで打ち消し、そのあとパルミジャーノがもつ乳脂肪がすべてを中和していく。これは二人の結婚ではないのでマリアージュとは呼ばないだろう。三人なのだからトリオ?それとも三本の矢の教訓にちなんで「毛利元就」。

そんなことを考えながらパブでの時間をエンジョイしていたら、セミナーの集客に一喜一憂するのをやめようと思い出した。やりたいときに、やりたいところで、やりたいことをやる。何があっても満席にするという必要もないし、赤字をたれ流してまでやりつづける義務も責任もない。

ここまで来てハタとひらめいた。

私のセミナーは韓国海苔と赤ワインの組合せなんだ、ということを。どうせやるなら、ギネスとパルミジャーノにしなくちゃ。

それに気づいただけでもこのパブに来た甲斐があったというものだ。