念願かなって二週間の長期休暇が取れたある若い経営者は、一人でフランス・イギリスへ旅行した。帰国翌々日、ランチをご一緒する予定で楽しみにしていたのだが、当日になって「延期してほしい」とメールが届いた。風邪らしい。現地で分刻みの行程で動き回った疲れが出たのだろう、という。
たまに旅行にいくと、時間の情味をなくしてまで観光地巡り、グルメスポット巡り、ショッピング三昧をしたくなる。私も子どもが小さいころ東京ディズニーランドに家族を連れて行き、アトラクションをまわりすぎて疲労困憊した。人混みでストレスも相当たまっていたのだろう。その夜、ホテルの部屋で家族に声を荒げてしまった。
楽しい思い出はその瞬間に消え失せ、苦々しい思い出だけが家族に残されることになった。
(最近確認したところ、子どもたちは TDL に 行った記憶すらないらしい。誰のための家族旅行だったのかと思う)
「愛」の反対は「憎しみ」ではなく「無関心」だというが、「仕事」の反対は何だろうか。
「仕事」の反対が「遊び」だったのは昭和の時代まで。今は「仕事」の反対は「のんびり過ごす」ことだと思う。
「仕事」の反対が「遊び」だとすると無意識のうちに休日は生産的に遊ばねばと考えてしまう。それこそが、遊び慣れていない昭和の日本人の遊び方だった。
「のんびり過ごす」ということは、意識的に退屈でヒマを持てあますこと。
そういう意味では人が混みあう連休に観光地に行こうというのは野暮で、そろそろ帰省ラッシュだとか Uターンラッシュという言葉を死後にさせたいものだ。人が混まないときに混まないところへ行く。そうすると、大抵の場合、のんびりできてしまう。
家にいると何かしなくてはならない気分になる。特に普段、家にいない男性が家で何もしないでいるとじゃま者扱いされることもある。
だったら積極的に外出しよう。旅館へ行けば何もしないでいても食事は出てくるし、いつでも風呂に入れる。外出しても山と海と川しかない。やることがないから本でも読むか、考えごとをするか、湯に浸かるか、散歩するしかない。そんな数日を一年に一回でよいから来年こそやってみたいものだ。
上手に休めば、ふたたび猛烈に働くことができる。