未分類

天国のスケッチ

東京駅構内にあるステーションギャラリーで『川端康成コレクション 伝統とモダニズム』が開催されている。作家の中でも独自の審美眼をもつといわれ、数々の逸品を集めていた川端。入場してすぐに迫力満点の油絵がある。それを観た瞬間、私は知人のA さんのことを思いだした。

今年で72歳になられるA さんは画家。それでいて東京駅前で靴磨きをやっているという変わり種でもある。2002年2月に初めてお世話になって以来、14年間 A さんに靴を磨いてもらってきた。A さんがいないこともある。本職が忙しいのだろう。そんなときは、いつも A さんの横にいる弟さんに磨いてもらう。靴磨きの腕前は兄貴に負けていない。

兄貴ゆずりで、弟も画家。年に何度かは外国に絵を書きにいったり、個展を開きに行ったりしている才子兄弟である。彼らの父が昭和25年に東京駅前で靴磨きを始めた。一時は、親子親戚まじえて4人仲良く並んで靴を磨いていたこともあるそうだ。

川端康成コレクションを堪能したあと、靴をみがいてもらおうと Aさんのところへ向かう。できれば絵画や芸術の話を聞かせてもらおうかと思う。行ってみると先客がいた。いつもひっきりなしにお客さんがいるので、先客一名なら上出来だ。相変わらず無心に靴を磨く姿は、歌舞伎役者か火消し職人のように動きにキレがあって江戸っ子気質を感じる。

ところがよくみると、それは弟さんの方だった。あまりよく似たお二人ではないのだが、そのときに限って A さんがそこにいるかのようによく似ていた。

5分ほど待ったところで先客が終わり、弟さんが私に気づいてくれた。
「お待たせしたね。今、名古屋から着いたの?」
「いや、いまから帰るところです」
「そう。毎回荷物が大変そうだね」
「こういう移動にはすっかり慣れましたよ」

そんな軽口をたたきながらも、すでに靴磨きは始まっている。靴磨きの値段が800円に上がったことや、川端康成の話などをしたところで右足が終わった。左足になったときである。
「お兄さんは元気ですか?」と聞いてみた。

「・・・」

一瞬、間があり、「あれ、言ってなかったっけ?」と手を止めた。
「なんのこと?なにも聞いてないけど」 嫌な予感がした。
「亡くなったよ」
「ええ!」

「こんどはかならず僕の個展を観にきてね、招待してあげるから」と A さんが私に投げかけた笑顔がまだ昨日のように鮮明だ。すぐに亡くなるようなヤワな人ではない。
「心臓が悪かったことは知ってるよね。いつもニトロを持ち歩いてた」
「ええ、それは聞いてました」

「絵を発注してくれてた人がある夜、急に亡くなった。ご家族から知らせを受けて、家が近いので兄が車でお通夜に駆けつける途中、運転中に心臓発作を起こしたらしい。対向車線を横切って電柱激突、一瞬にして天国行きだった。ブレーキ痕もなかった。誰も巻きこまなかったのがせめてもの救いだよ」

さっき弟さんを見たとき A さんの姿がみえた。そのような話を信じるたちではない私だが、あれは間違いなく A さんだった。

靴を磨きながら私にいろんなことを教えてくれた A さん。

「武沢さんね、私に言わせれば芸術も靴磨きも同じ仕事なんだよ。白いキャンバスか黒い革靴かの違いがあるだけで、そこに作者の魂が宿るんだよ。だからどちらも芸術なんだ。芸術家に必要なことは哲学さ。あなたが教えている経営だって、それは一緒でしょ?」

ときどき爽やかなホラをふく。ご本人は大まじめでホラのつもりはないのだろうが、「今、大恋愛小説を書き始めていて来年には完成する予定さ」という話を10年前にきいた。
「500号(絵画の最大サイズ)の絵を何点か書きためてるんだ。それを1点でも売れば何年も暮らしていけるだろ」

いつも少年のようなキラキラした目で夢を追いかけていた A さんは読書人でもあった。哲学や思想の本が多かったように思う。ある日『存在の詩』を読んでおられたので、著者は誰かと尋ねたら、「和尚」(OSHO)だという。そのとき初めて「和尚」を知った。私の和尚(OSHO)好きはそこから始まっている。

あれだけ好きだった煙草はスパッと止められたのに、酒だけは全然減らせなかったからねえ、と弟も悔しそう。

左足の磨きも終わった。右足よりあきらかに長かった。

「ありがとう。またくるよ。これ、少ないけどお兄さんのご仏前に」と香典をお渡しした。
「いいのかい、ありがとう。兄貴も喜ぶよ。酒でも買って飲ませてやるさ」
「いや、お兄さんは仏壇のなかにいる人じゃないでしょ。今ごろ天国のスケッチで大忙しじゃないの」
「たしかに、兄貴のことだからな」 その日、初めて二人で笑った。