佐久田信次(38、仮名)は学習塾の経営者。10年前、中学の先生を辞めて倫理・道徳と国語を中心にした学習塾を興した。志は周囲の賛同を得たものの、経営的には苦戦の連続で、赤字が続いてきた。ここ2~3年、ようやく軌道にのりはじめたところである。
佐久田家は教師一家で、信次の母も父も教師だった。父の春信は、長年高校で美術を教えてきたが昨年定年退職し、一時金で家のローンを完済し、悠々自適の年金生活を送っている。ぜいたくさえしなければ何不自由ない一生を送ることができるだろう。最近も釣り仲間と連日たのしそうに磯釣りに出かけているようだ。
「まだ62で元気なのにもったいないなあ」と信次は思う。でも、無遅刻・無欠勤でまじめ一本で働いてきた親父の余生なのだから、そっとしておいてやろうとも思う。
そんなある日の夕刻、父の春信が前ぶれもなく信次の塾にやってきた。「話を聞いてほしい」という。
信次は10年前に教師を辞めるとき、父と大げんかした。定年まで勤めろ、という父に対して、やりたいことをやるんだと主張を譲らなかった信次に対して「お前なんか勘当だ。二度とうちの敷居をまたぐな」と大声をだした。しかし、その数年後に春信にとっての初孫ができたのを境に親子の仲はいつしか元にもどっていた。
そんな父がとつぜん息子の会社にやってきて、「話を聞いてほしい」という。「話がある」ではなく、「話を聞いてほしい」という表現も気になった。信次は仕事を早々に切りあげ、社員とたまに立ちよる近くの焼き鳥屋に父を案内した。
カウンター席が空いていた。父子ともに酒は弱いが、ふたりとも生ビールで乾杯した。思いかえせばこうして二人で酒を酌みかわしたことはいままで一度もない。「そうか、これが初めてか」と春信が苦笑した。「最初で最後にならなければいいがね」と信次が冷やかす。焼き鳥を何本か注文したところで春信が唐突にこう言った。
「オレ、もう一度勝負することにした」
これを伝えるのが今日の目的らしい。
「はい?」信次は聞き返した。
親父はなにを勝負するというのだろう。釣り仲間との勝負だろうか、それともヒマを持てあまして競馬か競輪かパチンコにでもはまったのだろうか。信次はビールジョッキをかたむけながら春信の横顔をみた。真意を推しはかる目で。
それに気づいているのかどうか、お通しのブリ大根をひとくち頬張り、春信は話をつづけた。
「社長業はどうなんだ?塾は順調なのか?」
「ああ、ようやく資金繰りの悩みから解放されたところさ。講師の先生方の待遇も改善できたし、幾ばくかのインターネット投資も始める予定さ」
「ふ~ん、ご同慶の至りだね」
「で、親父は何の勝負をする気なの?」
ちょうどそこへオーダーしておいたネギマと砂肝が運ばれてきた。ふたりで串を口に運ぶ。
「お前と同じ社長業をやる。年齢はお前より24ほど年上だが、社長業に関しては10年後輩になる。今日はその仁義を切りにきた。よろしく」
「ええっ!」
信次はおどろき、完全に身体の向きを春信に向けた。
●「悠々自適でいくんじゃないの?」
そう聞き返すと、春信はこう言った。
「一年ほど悠々自適もどきをやってみたが、俺の性分にはあっていな
い。美術を論じ、美術史を語る相手がほしい。いままでは生徒が聞き
役だったが、いまは誰も聞いてくれる相手がいない」
「で、どうするの?」
「骨董店を相手にコンサルタント会社をつくる。当面は個人事業だが、
興味がある若者があらわれれば、会社組織をつくっていきたい。お前
の姿を見て決心した。儲かるか儲からないか分からないが、あちこち
から脂肪を集めて胸を作るように、あちこちから体力とやる気をかき
あつめて起業家の仲間入りをするつもりだ」
(今から起業、・・・。おやじカッケー)
信次が親父のことを「かっこいい」と思ったのは子どものころキャッ
チボールを教えてくれたとき以来のことである。
「親父、カンパイしようよ」