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先知後行と知行合一

「あの人、たくさんのことを知っているのに大した結果は残していないな」と思える人がいる。評論家や学者に向いていそうなタイプだ。その一方で、「あの人、いろんなことに対して無知なのに、すごい結果を出していて凄いな」と思える人がいる。実業家や経営者、特に創業者にこのタイプが多い。

あなたはどちらに近いだろうか?

儒教のことばに「先知後行」と「知行合一」という真反対の言葉がある。「先知後行(せんちこうこう)」とは、まず先に学んでから後から行動しようという考えで、朱子学(しゅしがく)などがそう説いた。徳川家康はこの朱子学を国学とさだめ、幕府体制維持のために利用したと言われている。体制派にとっては非常に都合がよい教えなのである。

一方、王陽明が説いた陽明学の「知行合一(ちぎょうごういつ、又は、ちこうごういつ)」は体制派にとって危険な教えでもある。なぜならそれは、「知は行の始め、行は知の成るなり。知行は分かちて両事と作(な)すべからず」と説いた。学んだことは即実践せよというわけである危険このうえない。「知と行は連続して一体のものであって二つに分けることが出来ない」というわけだから、俗っぽい表現をつかえば、「いくら知識があっても、それが行動につながっていなければ、何の意味もなさない。それは、知らないのと一緒。いや、知らないよりもタチが悪い」となる。

当然の結果として陽明学は多くの行動家を生んだ。中江藤樹、熊沢蕃山、佐藤一斎、大塩平八郎、佐久間象山、河井継之助、吉田松陰、西郷隆盛、乃木希典、三島由紀夫、安岡正篤らが陽明学を学び、実践した人として知られている。

徳川幕府では終始一貫して陽明学を危険思想として扱った。だが押さえきれるものではなく、案の定、倒幕維新のリーダーや思想家の多くは陽明学を学び実践した人たちだった。

その陽明学では、学問の進み具合を次の四つランクに分けている。「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」であり、一般人は「卿愿」になる。よく幕末小説などを読んでいると、さかんに「狂」という言葉がつかわれるが、それは陽明学における「狂」であり、賞賛の対象として使われた。要するに「狂」とは理想や主義に向かって脇目もふらずに突進する行動人を意味する。

知識は知識、行動は行動、それぞれ別ものであることを認めた朱子学をとるか、学問(知識)と行動は一緒であるとする陽明学をとるか。それはあなたが決めることだが、王陽明が説く「知って行なわざるは未だこれ知らざるなり」(知っててできないのなら知らないと思いなさい)という考えには賛同できる人も多いのではないだろうか。

そして我々、経営者や実業家にとって陽明学の考えを取り入れたほうが自らをさらに成長させる原動力になる可能性がある。「知行合一」の意味することをもっと拡大解釈していくとどうなるか。

・思ったことと行動することは同じでなければならない→だったら、思う事柄そのものを立派にせねばならない。

・口に出して言ったことと、実際に行動することは同じでなければならない→だったら、軽はずみにあれをする、これをやる
などと言わない。本当にやれること、やることだけを口にする。

・経営計画書のなかで「これに取り組む」と宣言したり、「これを達成する」と約束したことは自らの尊厳をかけて実行しな
ければならない。やりたいことや、やるべきことばかりが網羅されているような朱子学的な経営計画書にしてはならない。