昨日のつづき。
「いいぞ、小説みたいで面白い。もっとやってくれ!」という声も届いていますが、とりあえずこのシリーズは今日が最終回です。
「じゃ、東京に行ってくるわ」と出たきり、半年間京都の自宅に帰れなかった。想定していた数量の2倍近い引き合いが殺到し、商品の調達や発送指示に忙殺されたケン。おかげで一躍10億企業のトップになれた。個人ブローカー程度に過ぎなかったケンにとっては、エミリーとジョンは救世主のような存在といえた。特にジョンのユダヤ商法には手を焼いたが、学ぶことも少なくなかった。
ビジネスがせっかく順調なのに、そのジョンに関する良からぬ風評が海外の友人から入るようになった。ドラッグ、女、暴力。最初は笑いながら「バカなやつだな」と聞き捨てていたが、「妻のエミリーにまで手を上げるようになった」というしらせが入ったとき、ケンはすぐにエミリーに電話した。
するとエミリーはあっさりと事実を認めた。そればかりか「彼とはすでに離婚協議中よ。すでに別居してるし、もう心配はいらない」と淡々としていた。「これからもジョンが共同経営者という立場は変わらない」とも言われた。人としては最低のヤツだが、仕事の腕前だけは高く評価しているようだった。
ひとまず安心したケンはますます精力的に「エミリージーンズ」を売ってまわった。新素材、新色、新デザインの「エミリージーンズ」もいずれも売れ行き好調で、ネットショップでも話題の商品になっていた。
そんな矢先のことである。
いつも通り午前8時に新宿のオフィスに出社し、コーヒーメーカーをセットし、お気に入りの iMac を立ち上げた。この時間、海外からのメールがたくさん貯まっているので件名だけをザッとチェックしていく。すると、『エミリージーンズの売却について』というタイトルに目が止まった。差出人はジョンである。
「売却、そんなバカな」
ひとりごとを言いながらあわててメール本文に目を通すケン。そこには衝撃的なことが書かれていた。「エミリージーンズ」を会社ごとヨーロッパ企業に売却することが決まったというのだ。それにあわせてケンとの契約も半年後に失効する・・・、とある。
「社長、コーヒーが煮えちゃいますよ」女性スタッフが出社した8時半まで、ケンは腕組みをしたままピクリともせず iMac の画面を凝視していた。
「社長、コーヒーをどうぞ」もう一度スタッフに言われて我に返った。絶好調に思えた「エミリージーンズ」の舞台裏でどんなことが起きていたのかケンは知るよしもない。「至急会いたい」と二人にメールしたが、その日も翌日も翌々日も返事がもどることはなかった。ノーアポでシカゴに行けば会えるかもしれないが、もし会えたところで彼らの決定はくつがえるまい。初めて経験する代理店ビジネスの怖さだった。
翌月、「エミリージーンズ」に1億ドル(120億円)の値が付いたことが業界紙のトップで報じられた。どうやらエミリーとジョンはそれを山分けしたらしい。エミリーは買収先の会社でチーフデザイナーとして好待遇を受けるとも聞いた。
ジョンはどうするのだろう。タクシードライバーをしていたジョンがわずか500ドル(6万円)だけ出資した会社が数年で5,000万ドル(60億円)に化けたのだ。10万倍である。一気に金が入りだし、身を持てあましたジョンが豪遊のあげくドラッグにまで手を伸ばした。それでもあきたらず、金目当てにエミリーに会社まで売らせてしまったのだろう。
「くそったれ、またオレもやり直しだ。まずは社員を解雇して小さな雑居ビルに引っ越しだな」
せめて正月ぐらいは妻と水入らずで祝おうと温泉旅館をとっていた。
「すまんが来年は売上が半分以下になる、4分の1になるかもしれない。だけどオレはなにがあっても生き延びるし、お前を不安にさせるようなマネは決してしないから」とだけ言った。
ジョンが死んだというメールを受け取ったのは、初出社の朝だった。差出人はジョンの母親である。おそらくメールのやりとりがあった相手すべてに送っているのだろう。葬儀の場所や時間までしらせてきたが参列するつもりはない。悔やみ文を送る気にもなれなかった。友人の話ではピストル自殺したらしい。
「バカな、60億も手にしながら」「なんてバカなやつなんだ」「くそったれが」普段は紳士のケンも、ジョンに対しては別人になる。
経営者は自分の器以上に会社を大きくしてはならないし、大きくならないと聞いていたが、時にはこうして器を越えてしまうことがある。そんなとき自分がコントロールできなくなってしまうのだろう。あまりにみじめなジョン。ケンにとって「エミリージーンズ」のビジネスはあまりに多くのものを得、そして、失った。