●東日本大震災後の復旧があまりに遅い!と怨嗟の声。
そのなかで政権与党は原発に安全宣言を出し、運転再開だけを性急にすすめようとしている。だが、国民感情としてはあらゆる我慢をするから、この状況での原発再稼働には待ったをかけたい。それでは日本の生産活動がピンチになるという政権与党としての責任があるとはいえ、いまの政治家たちの仕事の進め方にはセンスが感じられない。
そこで一人二人の地方知事の歯切れ良い発言だけが大きく取り上げられることになり、あたかもそれが天の声のように聞こえてくるから妙なものだ。
●政治不信が高まる中、災害復旧で自衛隊がいかに貢献してくれたかを賞賛する声が高まっている。
桜林美佐さんの著書『日本に自衛隊がいてよかった 自衛隊の東日本大震災』もベストセラーとなった。
→ http://e-comon.co.jp/pv.php?lid=3150
●震災で子供が流され、生き別れてしまった若い母親。何日かたって我が子が隊員によって見つけられた。若い母親は、変わり果てた我が子を抱きあげながら、「よかったね見つかって。自衛隊さんが見つけてくれたんだよ。今度○○くんが生まれてきたときは、自衛隊さんに入れてもらおうね」と語りかけた。
その前で敬礼しながら号泣する隊員。私たちには誇れる自衛隊がいる、と思わせるエピソードである。ほかにもたくさんのエピソードが詰まった本で、誇れる自衛隊、誇れる日本人がこんなにもたくさんいるのかと励まされる。
●誇れるのは自衛隊だけではない。建築関係者の奮闘努力も並大抵のものではないと思う話を聞いた。
1995年の阪神淡路大震災のとき、延べ 130キロにわたってダメージを受けた新幹線は、復旧するのに 81日を要した。
そのときの教訓と反省、技術革新、それに建築関係者の発憤と精進によって中越地震(2004年)後の新幹線復旧は 66日でやり終えている。
●そして今回の東日本大震災(2011)。
電柱が折し流されて架線が切れるなど、延べ 500キロ、1200カ所で被害が出た。その後も 4月7日の震度 6強の余震でも新たに壊れる箇所が発生するなど復旧は大いに難渋した。
●そんな東北新幹線がはたして何日で完全復旧したか、ご記憶の方はおみえだろうか。
200日?100日?
いえいえ、わずか「49日」なのである。阪神淡路のときよりはるかに短い。ここに日本の建築家の心意気を感じる。
過去の教訓をいかし、日本中から 8500人もの建築エンジニアを被災地に結集し、知力と体力の限りを尽くして復旧にあたった成果である。
建築家さん、ありがとう!と思えるエピソードだ。
●この話を聞かせてくれたのは「建築経営者倶楽部」の降籏達生(ふるはた たつお)理事長。
「将来、子供たちがなりたい職業のベスト10に建築家または建築エンジニアが入る世の中にしたい。その責任が今の建築家の私たちにある」と建築経営者にむかって熱いエールを送る。
●昨日は名古屋駅前で建築経営者倶楽部の年次総会があった。私はゲスト講師の立場で総会の様子を一部始終見守った。
たしかに建築関係者がこの国の骨格を作ってきた。新幹線も高速道路も橋も空港も駅もビルも家もなにもかもが建築家たちの手による仕事である。
これからもすばらしい国土を作っていくために仕事をするという自負が感じられる熱い会合だった。
★建築経営者倶楽部 ⇒ http://www.hata-web.com/kensetsu/?type=iso
●ありがとう建築家。自衛隊もがんばっている。
同じ日本人として「民」がやれて「官」がやれないわけがない。
がんばれ!政治家、がんばれ!役人、である。
「自衛隊さん、ありがとう!」という本が売れているのなら次は「建築家さん、ありがとう!」、そして「政治家さん、ありがとう!」、「官僚さん、ありがとう!」という本が売れる世の中を作っていきたいものだ。
【編集後記】
◆昨日の名古屋での「建築経営者倶楽部」の総会ではあつい議論と交流が行われました。遠くは能代(秋田)から参加されている社長もおみえでした。
今から私は長野県に向かいます。真田幸村が活躍した上田市で今夜講演です。60名が聴講され、40名で懇親会だそうで、楽しみです。