一番最初に「経営計画書」を作るときは、社長であるあなた自身が一人でつくる。部下がいようがいまいが関係ない。誰のために作るのでもない、ひとえにあなたが会社経営に最高の情熱を傾けられるようになるために作るのだ。内容はもちろん純度100%、あなたの考えで作られる。
つぎに「経営計画書」を作るときは、あなたの経営パートナーか最高の幹部を採用するために作る。「私」ではなく、「我々」が燃えるために作る。相手が有能であればあるほど、理念やビジョンは明確な方がよい。ただし、目標や計画はフレキシブルでないと有能な相手ほど押しつけられていると感じ、やる気を失う。「君がうちに来てくれたら、まずまっ先にこの計画書を作りかえよう」ぐらいのメッセージが必要だ。
そのつぎに「経営計画書」を作るときは、今いる社員も意識して作る。そのつぎには学校や労働市場、取引先、金融機関など外部ステークホルダーの視線も意識してつくる。
このように、最初は自分だけのためにつくり、徐々に「他人に見られる」「他人に見せる」前提で作るようになる。だが、一番肝心なことは、「社長であるあなた自身が燃える」計画になっていることだけは決して外してはならない。
「経営計画発表会」を開催しても全然盛りあがらなかった、とガッカリする社長がいる。社員が無反応ならまだマシで、シラーっとした冷たい反応を返してくることもある。その冷たい視線にいたたまれず、発表会をやめてしまう社長もいるほどだ。
だが、そうした冷たい視線には二種類の意味がある。ひとつは「社長の考えが私にはよく理解できていません」という意味。もうひとつは、「社長、お好きにがんばってください。近々、この会社にはいなくなりますから」という意味。冷たい目線の奥にあるメッセージがどちらなのかを見抜かねばならない。
また、少数派かもしれないが、社長の方針発表を聴いて心から燃えてくれる社員がいる。内容について質問してきたり、積極的な感想を述べてくれる社員だ。その人こそ真の人材であり、経営幹部にしなければならない相手である。
「経営計画」に社員がどんな反応をみせるかは各社各様で実に興味深い。韓流ブーム真っ盛りのころ、「今期業績を達成して来年の今ごろはみんなでソウルに行こう!」と宣言した社長がいた。社員は女性が多く「エステに行きたい」「焼き肉もいいね」などと盛りあがっていた。だが、社長がその発言を失念した。「僕がそんなことを言ったの?ありえないでしょう、その原資がどこにあるというの?」と開きなおってしまった。その年、業績目標は達成されたが旅行には行かなかった。
一時が万事というが、そうした約束不履行(不渡り手形)が重なると、社員の方も「どうせ社長は本気じゃない」「すぐ忘れる」と考えるようになる。たかが旅行、されど旅行。たかが焼き肉、されど焼き肉。「たかが・・・」こそが万事と考えよう。
「政治家にとって、すぐに失望させられる根拠のない期待を国民に向かって主張することほど最悪の間違いはない」とチャーチルが言っているが、政治家のところを経営者に、国民を社員に入れ替えれば、そのまま通用する格言ができあがる。
「経営者にとって、すぐに失望させられる根拠のない期待を社員に向かって主張することほど最悪の間違いはない」(「がんばれ!社長」)
何よりも経営者本人だって深く傷つくだろう。こんな格言もできる。
「経営者にとって、すぐに失望させられる根拠のない期待を自分に向かって主張することほど最悪の間違いはない」(「がんばれ!社長」)ともいえる。
「失望するぐらいなら経営計画を作るのはやめよう」と考えるのではなく、「だったら根拠のしっかりした経営計画を作らねば」と考えるようにすべきだろう。