男子体操が団体金メダルを取って凱旋帰国した。体操王国ニッポン復活を期待した。体操に関して不思議なことは女子がなかなか世界レベルに到達にしなこと。女子体操といえば、1964年五輪のチェコスロバキアのチャスラフスカ選手がセンセーショナルだった。ワザの難度だけでなく、女性的な美しい表現力で審査員を魅了し金メダルを取った。
チャスラフスカ次の世代のスーパースターがコマネチ選手(ルーマニア)で小柄な身体特性を存分に活かしたキビキビした動きとワザのキレが高得点を生み、史上初の10点満点を連発した。体操の得点のあり方にまで変革をうながしたのが彼女である。
その当時は「ウルトラ C」がもっとも難度の高い演技で、とんでもなく凄いことを表現するのに「ウルトラ C級」と形容したものである。今では内村航平選手などがウルトラ「H」難度を連発する。その上の「 I 」難度も登場したというニュースもある。
1964年当時、ウルトラ「C」で大騒ぎしていた体操界が50年を経てウルトラ「D」「E」「F」「G」「H」「I」と進化してきたわけで6ランクも上がった。ウルトラ難度がひとつあがるのに10年かかっていない計算だ。10年ひと昔とはよくいったものである。もし今の大会に当時のチャスラフスカ選手やコマネチ選手が登場したとしてもメダルには遠く及ばない。いや、そもそも大会にも出られないはずだ。それがスポーツの進化、人間の進化なのである。
そうした革新を『GE の口ぐせ』(安渕聖司著、PHP ビジネス新書)では、「イノベーション」と呼び、走り高跳びの記録を引き合いにして紹介しているのが印象的だった。
今、世界の主流は背面跳びである。あれこそがもっとも高く跳べる方法なのだが、少し前まではベリーロールだった。1968年のメキシコシティオリンピックで、アメリカのディック・フォスベリー選手が初めて背面跳びで優勝したとき、世界中が驚いた。そして急速にそれが普及し、いまではベリーロールで金メダルを目指す選手はいない。今となれば、はさみ跳びや正面跳びは小学生が体育の時間で見せるぐらいだが、ベリーロール以前はその跳び方で五輪の優勝者が何人もでていたのである。
人は新しい跳躍法を見つけるたびにそれをマスターし、記録も跳躍し、前の跳び方を過去のものとする。体操においては、いまもウルトラ C で勝負する選手はいない。いまでも正面跳びで五輪を目指す選手もいない。私たちも同様である。ビジネスにおける新難度、新跳躍法を生み出したり、それに関する情報をリサーチし、それを取り入れるために練習する必要がある。
それがイノベーションである。いくら練習しても勝てなくなった、いくら努力しても酬われない、とすれば、それは「前のウルトラ難度」、「前の跳躍法」をやっているからかもしれない。