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続・二宮尊徳と経営計画

昨日のつづき

寒村の貧農に生まれたあと孤児として親戚に預けられた16歳の二宮尊徳。勤勉と節約だけが自分にできることだった。寝る時間を惜しんで働き、放置されていたわずかな土地を耕して苗を植え、精魂をかたむけて手入れして、作物を育てた。何年かして豊かになっても勤勉、節約、貯蓄はやめない。あっという間に誰もがあこがれ、尊敬する農民になった。その名声が領主の耳に届き、もっともひどい三つの村を立て直してくれということになった。最初は固持したが断りきれなくなり、復興を引きうけることにした尊徳。

尊徳の考える復興の定義は変わっていた。作物が豊富にとれるようになって農民の暮らしが楽になること、ではなかった。ふたつの重要なものがまだ必要だと考えた。ひとつは蓄えである。自然相手の生産は、いつ不作におそわれて飢饉に見舞われるかわからない。尊徳が掲げた復興目標は「10年分の備蓄」とした。「9年分の備蓄がない国は危ない。三年分の備蓄のない国は、もはや国とはいえない」と周囲に説いてまわった。

10年分の備蓄とは、10年分の生活費である。現代に置きかえるなら、家族ぎりぎりが一年で暮らしていける費用が300万円だとするなら3,000万円の貯蓄をもってはじめて「復興した」といって良いと定義した。

復興の定義二つ目は「道徳力の回復」とした。尊徳いわく、重要度ではこちらのほうが大切だという。経済復興のための計画が道徳力にあると説いたのだ。仁愛、勤勉、自助といった徳を徹底して励行することによってはじめて10年後の真の復興が可能になる。反対に、徳の励行なくして生産力や経済力の復興などあり得ないと尊徳は説いた

領内でいつも問題を抱えていた物井、横田、東沼の三つの村の復興を引きうけた尊徳は、妻の同意を得て、せっかく豊かに育て上げた個人所有の田畑をすべて手放した。みずから問題の村に移住し、そこで開墾作業をしながら人々と一生に暮らす決心をしたのだ。決心を揺るがせにしないため睡眠時間は2時間と決めた。畑には誰よりも早く出て、誰よりも遅くまで働いた。そして約束の10年が終わると、領内でもっとも貧しかったこの村が、もっとも整って豊かな生産力を誇る土地になり、村民の蓄えも一番になった。それだけではない。尊徳自身も莫大な貯金ができ、それをもとに人生の後半において人々を助ける事業の資金にしている。

私はこの『代表的日本人』(内村鑑三著)を読んで深く考えさせられた。
「損得ではなく尊徳」でいかねばならんと改めて強く思った。人々から全幅の信頼を得なければ改革はできないし、全幅の信頼を与えられるようにもしていかねばならない。そのためにはまずトップに立つものが襟を正し、範を示さねばならない。しかるのちに部下の働きぶりをよくみて、表面的な成果に目をうばわれず、どういう気持ちで仕事をしてくれているかを評価の対象にする。部下が上司を信頼していないならば、それは部下が悪いのではなく、上司が反省し、信頼される上司にならねばならない。

「二宮尊徳の教えを経営計画にしている」と青森の社長が語っていたことが4年経った今、はじめて理解できた気分だ。

会社は社員から信頼されている人が責任者や管理者になる。年齢やキャリアは問わない。仕事の技能や成果が秀でていたとしても人として信頼されていなければ責任者としては不適格である。そうした方針で運営されていくと、会社がどのようになるのか極めて興味深い。

今回の『代表的日本人』には二宮尊徳以外に、上杉鷹山や中江藤樹など、すばらしい儒教的リーダー、改革のリーダーが紹介されている。西郷隆盛と日蓮上人の箇所はまだ読めていないが、文字どおり代表的日本人の特質をもった5人が紹介されている。まだの方は、秋の夜長に是非ご一読あれ。経営観が変わる可能性がある。

『代表的日本人』(内村鑑三著、鈴木範久訳)岩波文庫
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