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落選の神様

●片岡 球子(かたおか たまこ、1905年(明治38年)1月5日 – 2008年(平成20年)1月16日)。明治・大正・昭和・平成時代に生きた、日本を代表する女流画家である。

札幌で醸造業を営んでいた両親は、我が子に地球の「球」という字をあて可愛がった。

●女学校の友人のひとことが球子の人生を決めた。

「私があなたなら芸術家!絵描きになるわ ダンゼン」

球子の一生が決まった。

「上京して絵の勉強をしても、卒業したら帰省して許嫁と結婚する」という親との約束を反故にし、横浜での生活をつづけ、親から勘当されてしまう。

●小学校教諭をしながら画家として創作をつづけた球子。

画家でありながら「あたし、下手でしょ」と終生言いつづけたように、自分の絵を下手だと思っている。事実、日展などに応募しつづけるも落選をつづけ、遂に、ついたあだ名が『落選の神様』。

●当時、画家仲間は球子と廊下ですれ違っただけで「落選の神様」が自分にうつってしまうとトイレなどに避けた。

悔しかったし恥ずかしかった。

34才で入選を果たしてからようやく画壇で認められ、以後入選の常連になる。

●画壇最強ともいわれた彼女の生命力と作品の若々しさは37才にしてようやく広く認められるようになり、『祈祷の僧』で大観賞を受賞した。

「ようやくここまで来られた」と得意満面の笑顔で受賞式典に臨んだ球子。そこで横山大観氏から声をかけられた。

大観はテーブルにあった料理の取り皿を手に取り、箸でチーンと鳴らしてこう言った。

「あなた、この音が描けるようになるまで一生勉強だよ」

玉子の笑顔が一瞬で消え、「一生勉強」、「一生挑戦」が彼女のモットーになった。

●ウィキペディアにこうある。

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型破りな構成、大胆な色使いにより一部の人々から「ゲテモノ」とも揶揄され思い悩むが、小林古径は「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ…。あなたの絵を絶対に変えてはいけない…」と励ましたという。

球子は「美しく描くことが全てではない」と信じ自分の信念に従った創作を続け、従来の日本画の概念を揺るがすような力強い表現を確立。
「面構(つらがまえ)」・「富士山」シリーズでは特に高い評価を受ける。
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●荒々しくどこかユーモラスでもある彼女の作品は、ほぼ同時代を生きた棟方志功の版画と共通するものがある。

また、画の若々しさという点では、かの北斎を彷彿とさせるようでもある。球子自身、生き様が気に入っている人間の「面構え」をシリーズ作として残したが、そのなかに北斎の顔がある。
赤富士を背景に北斎がドーンと腰かけている有名な作品だ。

・北斎の面構え
http://www.k3.dion.ne.jp/~nike0815/LOVELOG_IMG/04_21_4.JPEG

・片岡球子さんの作品群
http://www.google.co.jp/search?q=%E7%89%87%E5%B2%A1%E7%90%83%E5%AD%90&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&hl=ja&tab=wi&biw=1272&bih=762

●北斎は88才でこの世を去ったが、球子は103才まで生きた。100才のとき脳梗塞で倒れたがその後も療養しながら創作活動をつづけた。

あの世でも「私下手でしょう」と言いながら、皿の音が描けるようにと特訓していることだろう。