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奈良の思い出

●ある日、当時中学生だった息子と二人で奈良へ親子旅をした。

興福寺で国宝の仏像を見学し、奈良公園を散策していたら、鹿せんべいの売店があった。周囲をみると、たしかに何頭かの鹿がいる。

「よし、あれを買って、鹿にせんべいをあげようよ」と息子に提案した。「オッケー!」とせんべいを買いにいく息子。そのときは、二人ともあんなハプニングが起きるなど予想だにしていない。

●せんべいを買い、近くにいた鹿に一枚あげては喜んでいたのは最初のうちだけ。アッという間に息子の回りに、5頭、10頭、15頭と鹿が集まり、しかもわれ先に群がってきた。群がるだけならまだしも、頭を下げて角の先端部分で息子の身体をプッシュしているようだ。鹿の方もかなり空腹の様子だ。

「お父さん、助けて!」と息子の笑顔は消えて真顔になっている。私はちょっと離れた場所でその様子を記念撮影していた。

●やがてこわくなったのか、息子は鹿せんべいを袋ごと放り投げてしまった。

這々の体で逃げてきた息子に、「ダメじゃないか、ちゃんと鹿サンに食べさせてあげないと」と笑いながら忠告してやった。

「無理無理、あのプレッシャーはすごいよ。お父さんでも放り投げると思うよ」と息子が言う。だったら手本を見せてやろうと思い、私もせんべいを買いに行った。何を隠そう、私の初デートの場所は奈良公園で、しかもその時にも鹿たちにせんべいを食べさせてやっている。
私にとって鹿はラッキーな生き物なのだ。

●ところが、鹿の角は予想外に固く、そして昔の鹿と違ってワガママだった。まだ買い物をしている最中から私の背中をツンツン突っつく。
先が尖っていないので鋭い痛みではないが、圧力があるので思わずのけぞる。それが前後左右からくるわけだから、たまらない。
私は一瞬のすきをみつけ、そこから逃げた。たぶん30メートルほど全力で走ったが、鹿は優雅に追いついてくる。

ゴミを背中にポイ捨てするように私はせんべいを後ろに放り投げた。
ただし、息子の手前があるので袋ごと放り投げするようなマネはせず、一枚ずつそうした。

●厳島神社(広島)の鹿は紙を食べるので、民家の障子まで被害にあうと聞いたことがある。奈良公園の鹿はせんべいをねだって角で攻撃してくる。
ちょうど空腹時にあたったのだろうが、要注意である。

●あれから10年近くたつが、今でもその話題が出ては息子に冷やかされる。

私はそのたびに、中国古典の『易経』の教えを語って威厳を保とうと努力している。
それは、「童牛のこくは、元吉なり」。「こく」というのは角に横木をあてることをいう。子牛のときに角に横木をあてておかないと、角で人間をつっつくような牛になってしまうという教え。
きっと最近の奈良公園の鹿は「こく」をされてこなかったから、人間への接し方の程度が分からないんだろうな、お父さんの若いころの奈良公園の鹿はそのあたりキチンとできていた。あなたも「こく」を大事にしなさいよ、と。

伝わっているだろうか。