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私欲と公欲

●昨夜は伝説のホテルの鶴岡秀子社長が名古屋にお越しになった。
「せっかくですから夕食でも」ということになり、鉄板焼きをご一緒した。そのあとラウンジでハイボールを楽しんだ。いつお目にかかっても夢とアイデアにあふれていて、目がキラキラしておられる。
鶴岡さんのような大人が世間にあふれると日本はもっともっと元気になるのに、と思った。

●よく、「うちの社員は無欲で困る」という社長のグチを聞く。給料もポストも今のままで充分、むしろ役職者になんかなりたくない、という社員が多いらしいのだ。

●その反対に、テレビで政治家の言動をみていると「大臣になりたい」「党首になりたい」「権力の座につきたい」という人が目立つ。
これはどういうことだろうかと考えるに、強欲な人が政治家をめざし、欲があまりない人が民間に入ってくるのかとも考えたが、そんな単純なことではないようだ。

●佐藤一斎の『言志四録』にこんな一節がある。

・・・私欲はあるべからず。公欲は無かるべからず。公欲無ければ、則ち人を恕する能わず。私欲有れば、則ち物を仁する能わず。
(言二二一)
・・・

【訳】自分の利益ばかり追求する欲はあってはいけないが、公共の利益を追求する欲はなくてはいけない。公共心がなければ、他人を思いやることができない。利己心があれば、慈悲の心で他人に物を施すことができない。

(『佐藤一斎一日一言』致知出版社刊 より)

●むしろ、上昇志向のある方が人として健全なことである。ただし、その質が問われる。

欲にも公欲と私欲の二種類ある、と佐藤一斎。公欲は大いにもつべきだが、私欲は捨てるべしと言う。

●「このままで充分」という無欲な人は、私欲が満ちているだけのことである。もっと公欲を開発したまえ、と言ってあげよう。

また、部長になりたい、役員になりたい、社長になりたいという人には二種類ある。私欲の持ち主なのか公欲の持ち主なのか、である。

出世して役職者になって何をしたいのかを語れる人にはリーダーを任せるべきだし、出世する目的が収入や名誉や権力なのであれば、リーダーを任せられない。

●かく言う私の心の中には、私欲と公欲が入り混じっている。

若い頃に比べて少しは公欲が増えてきたように思うが、まだまだWishListを見るかぎり私欲が大半を占めている。
もっと公欲の思いに水や肥料をやって、育んでいってやらねばと思う。

●これからは、政治家などが権力争いするのを見ただけで「醜いな」と思うのはやめよう。その人が権力を欲しがっている理由をよく見きわめ、公欲の持ち主なのであれば、応援してあげねばならないのだ。

志とは公欲なり、目指せ!公欲