●かなり前の話。ある社長に頼まれて、幹部社員の前で一時間ほど講演することになった。「テーマはなんでも良いから、やる気が出る話を一発」というので、力を入れて講演した。
たしか、こんな話をしたと思う。
「私たちは皆、自分会社の社長です。自己の値打ちを高め、社会から高く評価される存在になりましょう。そのための目標や人生計画をつくって、チャンスを見抜き、それを活かしましょう」
●講演が終わって休憩時間になった。50代半ばとおぼしき幹部社員が近寄ってきてこう言った。
「武沢先生、”チャンスはだれにも平等に訪れる”といいますけど、私の場合はほとんどチャンスがありませんでした。子供のころ家庭が貧しく、大学にも行けなくて、就職先も親のコネでこの会社に決められ、私の人生はほぼ “ノーチョイス”(これしかない)でした。だから、人生を雄々しく逞しくとかおっしゃっても、思うようにならんことがたくさんあるのが現実社会だと思うとります。だから今日の先生のお話は、若い人に聞かせたら喜ぶかもしれんが、私らにはあんまり通用しませんわ」
●今になってなぜそんな昔話を思い出したというと、その幹部氏の言葉と真逆の発言を昨日聞いたからだ。
その主は筒井修氏(66)、和僑会会長である。札幌でイベントを行うために昨日、名古屋から90分間のフライトをご一緒した。
●シャンパンを楽しみつつ筒井会長がしみじみと言う。
「人生は本当におもしろいねぇ。人生はおもしろいよ、武沢さん。こんな私が北海道まできて、起業家の役に立とうと無報酬で講演に来るなんて誰が予想できたか。自分でも想像できなかった」
「そうなんですか?筒井会長は誰からでも慕われていらっしゃるから今の姿も容易に想像できたんじゃないですか?」
「とんでもないよ。僕はね、桑名(三重県)で生まれ育って夜間の大学を卒業するまでは本当に影のうすい苦学生だった。奨学金とアルバイトがなければ学校を卒業できなかった。そのころはお金もないし、気持ちにも余裕がなくて、性格も暗く友だちがいなかった」
「そうだったのですか、想像できないです。ちょっとビックリですね」
「でしょ。高校生のころ同級生が、”うちの親は社長だ”とか言っておこづかいをたくさん持っているのをみると、本当にうらやましかったなぁ。ようやくの思いで大学を卒業し、夢や野心もないまま、自然のながれで名古屋のデパートに入社した。何年かしてバイヤーを任され、徐々に僕にも人生の転機がやってきた」
●筒井会長の話はこう続く。
デパートで婦人服のバイヤーになってすぐに結果をだした。先輩バイヤーたちが朝早くから夜遅くまで懸命に働いているのをみて、僕はそれを見習おうとはしなかった。身体を使うのではなく知恵をつかって仕事をした。アッという間にナンバーワンのバイヤーになった。しかも二位に圧倒的な差をつけての一位だった。給料も上がったし社長にも認められた。だけど、サラリーマンとして出世することには興味がなかったので、定時になるとサッサと家に帰った。ダラダラと長時間働くことが嫌だった。
<つづく>