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アンチ・カリスマ

「酔った勢いで言わしてもらえば、あなたはたぐい稀なる凡人だ。平凡な凡人だったらこうして付き合いたいとは思わない。並はずれた凡人だから武沢さんは面白いんだよ。あなたのマガジンにあった『凡人が勝つ』のコラム、たいへん面白かったよ。」

「え、私が凡人・・。いざこうして面とむかって言われると何だか不愉快ですねぇ。でも微妙にうれしいのですが。」

単なる酒席の軽口なんかではない。このT社長、酒席になると油脈から地上に油が噴き出るように、アイデア・名言が飛びだすタイプだ。氏の話をメモしながら酒を飲む。それはちょっと大変な作業だが、今こうしてメモがあるおかげで原稿を作ることができる。

先週土曜日の酒席での話を要約するとこうなる。

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20世紀はカリスマがもてはやされた。カリスマ俳優、カリスマ美容師、カリスマコンサルタント、カリスマデザイナー、カリスマ・・・。映画俳優も裕次郎や高倉健などの二枚目俳優がウケた。どれだけカリスマになれるかでしのぎを削りあってきた。カリスマは、格好良さと勝者の代名詞でもあった。

しかし21世紀になった今、カリスマよりも大切なものが求められているように思う。それは『等身大』という基準だ。スゴイ人、格好良い人よりも「愛される人」「普通の人」と言っても良い。吉本のタレントがテレビ番組を席巻しているのを見てもそれは明かだ。では、等身大で愛される条件とは何だろうか。それは、『カリスマ』へのアンチテーゼではないだろうか。具体的には、

・カッコわるいことを気にしない
・失敗がこわくない
・世間の評判を気にしない
・判断基準は、損得や格好ではなく、面白いか面白くないか
・すぐに飽きるのでいつも新しいことをやっている
・その結果、進歩しつづける
・人間は人間の値打ちを計るとき、“どれだけ優秀”かと同時に、ど
れだけバカ(凡人)かを同時に計っている。
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T社長のこの説、面白い。

アイデアを借用して、カリスマと等身大を生活スタイルで見比べてみよう。カリスマは、風呂上がりにバスローブを着て、リビングのソファでワインをかたむけつつDVDを観る。一方、等身大は、風呂上がりにステテコかジャージを着て、こたつに
足をつっこんで寝転がる。そしてミカンを食べながらレンタルビデオを観る。おまけに何と、そのままヨダレを流して居眠りしてしまう。

これがカリスマと等身大の違いだ。
人々は、以前は黙っていたのだが、今は、はっきりとカリスマよりも等身大を求めているのだ、ということを鮮明に意思表示しはじめた。

国家全体が右肩上がりの途上にあるときは、「坂の上の雲」を見上げながら人々は上昇志向をもつ。末は博士・元帥・大臣になりたいと。格好良くなることが成功の証であり、格好良いことを支持した。

等身大時代に志向するもの、それは格好良さではなく、自分らしさだ。それは現状維持で良いという意味ではなく、自分らしさの追求という意味での成長志向なのだ。あなたの会社の方針は、そうした生活者の志向、従業員の志向を反映したものになっているだろうか。

時代の変化を敏感に感じ取った施策が必要なのだ。