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日ごとにまずく描く

●指に糊(のり)を塗り、画用紙にむかってサラサラっと絵を描く。
描き終わったらその画用紙に砂をふりかけて揺する。そうすると糊の箇所に砂がはりついて絵が浮かび上がる。
たしか、小学校の親子教室の時だったと思うが、そんなお絵描き授業があった。

●友だちはみな、魚、飛行機、家、親の顔、花などの絵を上手に描きあげたが、私だけまったく意味のない絵ができた。
実は、うかつにも先生の説明を聞いていなかったので、単に糊を画用紙に塗りたくっただけなのである。右に左に上に下に、指が適当におどっただけのことだから、あとで砂をかけても何も意味がない絵ができた。

●その絵を見て母が、「信行、これなんの絵?」と聞いた。
友だちの作品をみて、「しまった、僕だけ先生の説明を聞いてなかった」と焦ったが、適当にその場をごましかたと思う。母はそれ以上は何も言わなかったが、ひどく落胆した顔をしていたのを思い出す。
それ以来、私は決定的に美術や芸術というものから遠ざかった。

●何年かして私にも子供ができた。
ものごころがついた長女が膝に乗って、「おとうさん、ワンちゃんかいて」とねだってきた。
「いいよ」と近くにあったチラシの裏にワンちゃんを描いてあげたら、「これワンちゃんじゃない」と泣き出した。それは、馬のような獅子のような不思議な動物で、それでいて、顔だけは人が笑っているという絵だった。

●間違っても私は産業革命以前の芸術家にはなれないだろう。なぜなら、ものごとを精緻に描ける芸術家が重宝された時代だからだ。

だが、産業革命以降になると機械工業のおかげで、精緻なものを表現するのは機械に置き換わっていった。芸術の役割が大きく変わり、作者そのものの生き様やメッセージ、思想といったものが問われるようになっていったのだ。

●ピカソは自分の芸術に対して「私は日ごとにまずく描いてゆくからこそ救われてるんだ」と語っている。
日ごとに上手になるのではなく、日ごとにまずく描くことを志していたのだ。
さらにピカソは、「一枚の傑作を描くよりも、その画家が何者であるかということが重要である」とも語っている。

●経営者はある部分で芸術家でなければならないと思う。

「すばらしい会社を作り上げるよりも、その経営者が何者であるかということが重要である」。それには、上手に経営しよう、うまく立ち回ろうと思わないことである。なぜなら、上手にやっている人がたくさんいるからだ。それをあなたが踏襲する必要はない。

●岡本太郎氏は、「今日の芸術は、うまくあってはらならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と述べている。

氏いわく、”いやったらしい”までの強烈な個性が必要だし、あえて技巧に走りたがる本能に打ち克つために「日ごとにまずく描く」努力が求められているのが芸術だとするならば、今、会社経営には何が求められるのだろうか?