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続続・八正道

●ある社長が20名の社員全員にアンケートをとった。アンケートの主旨は、今後会社をもっと良くするためのアイデアを募ることだったらしいが、惨たんたる結果に終わったようだ。なんと、アンケートを提出してくれたのは1名だけだったのだ。
その社長は、緊急会議を招集し、社員のたるんだ気分に活を入れたそうだ。

●私はその話を聞いて社長にこう申し上げた。「悪いのは社員ではなくて、社長のアンケートの取り方ですよ」

なぜなら、この世に実体はなくすべてかかわり合い、つまり「縁」によってできているからだ。
対象にどうかかわったかの結果が自分に返ってくるだけなので、こちらのかかわり方を変えることだけに専念したほうが良い。

●先日講演したタイ王国和僑会での話。
A社長(独身)が懇親会で、最近フィアンセにフラれてしまった話を聞かせてくれた。そのタイ人女性がA社長に最後に言ったセリフが、「あなたは私を変えようとした」というものだったとか。

人は他人の圧力で変えられるのは不快なものだ。自ら進んで変わりたいのである。

●部下のアンケート回答者が20名中わずか1名だったということは、そのようなアンケートのとり方をしたこちらのかかわり方が悪かったと考えてみよう。そして、今度はもう少し回答が増えるような工夫をしてアンケートを取り直した方がはるかにストレスも少なく、うまくいくに違いない。

●そういう意味でブッダがつくった「八正道」とは、ストレスをため込まない人生術・仕事術であるともいえる。

さて、「八正道」について先週の続きを書いてみたい。

1.正見(しょうけん):正しい見方
2.正思(しょうし):正しい考え方
3.正語(しょうご):正しい言葉
4.正業(しょうごう):正しい行為
5.正命(しょうみょう):正しい生活
6.正精進(しょうしょうじん):正しい努力
7.正念(しょうねん):正しい念慮
8.正定(しょうじょう):正しい瞑想

以上八つのうち、最初の二つ「正見」と「正思」についてはすでに述べた通り。今日は三番目の「正語」から掘り下げていく。

●3.正語(しょうご)・・正しい言葉のこと

「正語」とは、妄語を離れ、綺語を離れ、両舌を離れ、悪口を離れることである。この世は縁でできているので、ウソ、ホラ、お世辞、二枚舌、自慢話、悪口、陰口、他者批判などをしていると、そうしたことが自分にもかえってくる。

社長は他者批判や言い訳をしていないか。根拠のない言葉や数字だけが踊ってほら吹きになっていないか?いつも矛盾のない一貫した発言をしているか。安請け合いして、あとで誰かを失望させることをしていないか。

●4.正業(しょうごう)・・正しい行いのこと

「正業」とは正しい業(カルマ、行為)を行うこと。
殺生を離れ、不与取(盗み)を離れ、愛欲を離れ、愛欲における邪行より離れ、生活のすべてにおいて戒律を守った行動をすること。

ブッダは弟子に対して食事の仕方やトイレの仕方まできびしく指導したが、正しい行いをすることで心も正されてくる。
異性に対してよこしまな思いでみない。我欲にとらわれた仕事や生活をしない。
特に職場は神聖なところと考え、勤務の妨げとなるようなものはもちこまない。

●5.正命(しょうみょう)・・正しい生活のこと

「2」~「4」にある三つのことを日々の生活で実践すること。つまり、正思・正語・正業の生活を営むこと。
それは、「無明」を離れ、「邪命」を滅する方向に動いてゆく生活である。毎日の生活そのものが悟りへの修行である。

社長は、「貪・瞋・癡」を目的にした生活を離れ、早く起きて早く仕事を始め、一生懸命仕事をして、早く帰宅し、勉強して早く寝る。それを淡々とくり返すことに喜びを感じられるようになること。

●6.正精進(しょうしょうじん)・・正しい努力のこと

「正命」の生活はマンネリを意味するものではない。むしろ、心を緊張せしめ、ひたむきな努力が求められる。自分の本業において緊張感ある努力を続けることである。

「常に行じて退せざるを正精進という」
これがやがて四正勤(ししょうごん)として、すでに起こった悪不善を断ずる努力、未来に起こった悪不善をおこさないように努力すること。

社長は、終始一貫した経営改善のための向上心ある勤務姿勢と勤務習慣をもっているか。

●7.正念(しょうねん)・・正しい念慮のこと

目的をピンポイントに定め、迷いの気持ちがなくなってきた状態。邪念を廃し、正しい念慮にのみ心を集中して、記憶し、それをかたときも忘れないこと。
「正思」も「正念」も、ともに心の働きをいうが、「思」のほうは、意思、つまり、行動を起こす前の段階をさし、「念」のほうは、実践行動のなかで思いを強く保持することをいう。

社長は、どこでなにをしていても、正しい理想や理念を片時も忘れずにいるか。

●8.正定(しょうじょう)正しい瞑想のこと

思考を停止し、座禅・瞑想すること。それによって、瞬間瞬間を生ききることを知る。それができること自体がすでに八正道を実践している証でもある。

このように、八正道は自己完成と悟りへの道だが、これを「中道」と言う。中道とは「道の中」(みちのなか)と書くが、ホドホドという意味の中間を意味するのではない。

道に中る(みちにあたる)と読むのが正しい。つまり中道とは道(真理)に中る(発見する)こと。そのためには、思考や観念にとどまらず、良かれと信じたことをガムシャラに実践行動することである。
常に理想を念頭において、真理をもとめ、その都度最善と思えることを猛烈に実践し、その中で自らがハッと気づくこと、それが悟りであり「中道」という言葉の意味なのである。

●以上の『八正道』をベースにしているのだろうか。
かつての海軍学校(現在の海上自衛隊幹部候補生学校)が広島の江田島にある。
この学校の教えが『五省』であり、内容が『八正道』とよく似ている。

一.至誠に悖る(もとる)なかりしか
一.言行に恥ずるなかりしか
一.気力に欠くるなかりしか
一.努力に憾み(うらみ)なかりしか
一.不精(ぶしょう)に亘(わた)るなかりしか

これを毎日5分間、全員が勢揃いして自らを省みる。それをひたすら毎日続けるという。
一本一本の糸は子供の手でもちぎることができるが、糸が何本、何十本、何百本にもなると、もう絶対ちぎれない。それどころか、50万トン級の巨大タンカーをもつなぎ止めるロープになる。
それが習慣の偉大な力であり修行の賜なのである。