斉藤秀敏21歳。北海道砂川市出身。両親との約束を果たし、東京の大学をきっちり卒業した。「さあ、これからは僕の自由に生きる」と、荷物をすべてボストンバッグに詰めこんで東京駅の切符売場に向かった。「西方向の一番遠くまで」と全財産の数千円を差し出すと、窓口の女性は名古屋までの切符をくれた。夜行列車だった。
翌朝、斉藤は名古屋に降り立った。北海道と東京以外の街に来るのはこれが初めてだ。一文無しなので、まずは食べるものと住むところを確保せねばならない。乞食はしたくない。日雇い労働でも探そうと、駅の周辺を歩いた。すると、一軒のパチンコ店が住み込み店員を募集しているチラシを見つけた。
「これは珍しい。新卒の学士さんがうちへ来てくれた。将来の幹部候補だ」とパチンコ店の社長ははしゃいだ。半年ほど働いた。給料は安かったが小さいながらも個室があり、三食付いていたので快適だった。
斉藤は数字が好きで学生時代には東京の税理士専門学校へ通った経験がある。名古屋で税理士事務所に転職することにした。小さい事務所で、いきなり中小企業を直接担当することになった。かなり多くの社長に会ううちに、「会社経営って面白そうだ。僕もやってみたい」と思い始めた。
何年かして、独立する決心をした。税理士の資格をとっていないので、所長から「このあと何をするの?」と聞かれた。「まだ決めてませんが、陽光という会社名にします」と斉藤は答えた。郷土の砂川市で浴びた陽光(太陽の光)のように、さんさんと、優しく人を照らす仕事をしたいと思っていたからだ。
貯金が100万円ほど貯まっていたので株式会社を作った。当時、35万円あれば株式会社が作れた。設立費用をおさえるために、丸善で登記申請用紙を買って全部ひとりで設立申請を行った。税理士事務所での経験が役立った。
残ったお金で業務用の掃除道具を一式買ってきた。「こんなに買って何するつもり」と新婚の妻が驚いた。斉藤はそれでビルの清掃業を始めた。もともときれい好きで掃除は得意である。斉藤自ら営業し、掃除もした。
あれから40年近く経ち、年齢は60代半ばになった。斉藤の会社は「陽光建物サービス」という。35万円でスタートした資本金は今2,000万円を超え、一人で始めた清掃業は30名を超える総合ビル管理業に成長した。清掃以外に、設備管理・設備保守点検・環境測定・営繕工事などビルの安全衛生環境にまつわるすべてのサービスを守備範囲にしている。25年前に名古屋市北区に建てた3階建ての自社ビルもローンの返済が終わった。
「大きな真心と 優れた技術で 快適な環境を」この経営理念は、斉藤が青年経営者研修塾の塾生のときにつくった。青経塾以外に、ロータリー、愛知中小企業家同友など、名古屋で経営者人脈をつくるためにあらゆる会に所属し、連日、会合と懇親会に顔を出した。その効果は絶大で、地元名古屋出身の経営者よりも名古屋財界に精通した。
「すごいですね」あるとき、私(武沢)は斉藤社長の人脈の豊富さに舌を巻いた。すると、「なあに、外様の野良犬が見知らぬ街で生きていくには、こういう方法しかないのよ」と笑う。
斉藤は自社ビルに投資しただけでなく、清掃用機材やポンプなども最新のものを買うようにしてきた。人材にも投資してきた。社員の勉強になるものであれば、資金が許すかぎり投資した。社員が書店のレシートを持参すれば、たとえそれが週刊誌であろうとも会社の経費として認めた。
こうして斉藤の陽光建物サービスは、名古屋でも屈指のビル総合管理会社になった。
「陽光建物サービスさんが『がんばれ!社長』に広告を打ちたい?」最初相談を受けたときは首をかしげたが、やれることはやってみようと今日の広告らしくないこの記事になった。
この原稿をご覧になったビルオーナー、建設会社、不動産会社、マンションの管理組合の方、あるいは陽光建物サービスと同業ながらもパートナーをおさがしの方などはこちらのホームページから直接コンタクトをお取りいただきたい。勉強熱心で誠実で腕のいい社員が揃っている。価格競争力もあるが、それ以上に武器としているのは守備範囲の広さ。ひとつの会社でビル管理の丸ごとすべてを任せられる会社は名古屋広しといえども多くないはずだ。
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