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自画像の画家

●昨夜、20年来のおつきあいがあるS社長と名古屋でお会いした。私の顔を見るなり、
「たけちゃん、僕の友人のお父上が画家でね、その個展を見てきたのだけど凄かったよ」と言う。
私のことを”たけちゃん”というのは同級生とS社長だけだ。

●「へぇ、何が凄かったのですか?」と一応聞いてはみたが、内心では絵の話にはあまり興味がない。

するとまったく予期していなかった説明をされ、私は俄然、好奇心が湧いて、思わず「その個展はいつまでやっていますか?」と質問してしまった。

●画家の名は筧 忠治(かけひ ちゅうじ、1908年~2004)。
氏が凄いのは、「自画像を描きつづけて80年」というところ。古今東西の画家のなかで、17歳から晩年まで自画像ばかりを毎年描いた画家はまずいないだろう。

●「17歳から毎年自画像を描いたのですか?」と私が念を押すと、そうだという。「ちなみにどんな自画像なのですか?」と重ねて尋ねると、「阿修羅のようだ」という。

●あいにく個展は終わっていて絵の実物を見ることはできないが、S社長が「作品集」を持っているというのでお願いして見せていただいた。その画像を見るなり、私は凍りついたようにその場で固まり、ひたすら「う~ん」とうなり声をあげるしかなかった。
それは、本当に阿修羅みたいだ。

●筧氏は、90歳を迎えた1998年発行の作品集に次のようなまえがきを書いている。

・・・
17歳の時に画家を志して以来、がむしゃらに突っ走り、気が付いてみたら90歳、時代は21世紀を迎えようとしている。
僕の生きた時代は、大正、昭和、そして平成と様々な価値観が錯綜した時代でもあった。
美術にあっても時代と共に新しい様式が生まれ、多様な展開を示した。

しかし、僕は変わらなかった。変わる必然性を感じなかったからだ。

人は僕のことを「自画像の画家」と呼んでいるようだ。別にそのこと自体になんら拘りはない。僕は描きたいものを描き続けているだけだ。
その結果、自画像の作品が多かったというだけである。

僕の作品は決して売れるものではなかったし、自分自身も売る気持ちはなかった。売れるとか売れないという次元の問題ではなく、それ以前の「描く」「創り出す」という行為のなかに、自分自身の歓びを見いだすことが最高の楽しみであった。それが17歳から今日まで継続している理由かもしれない。
・・・

●人は年とともに顔が変わっていく。その顔の変化を17歳からずっと描き続けた筧忠治氏。
S社長にお願いして作品集を一晩お借りした。昨夜、自宅にもどってじっくり眺め、今朝もあらためてこうして見返しているが、氏の作品が欲しくなってしまった。

歌舞伎俳優の坂東玉三郎氏が展覧会で感銘し、筧氏に懇請して絵を譲り受けたというのもうなずける話である。

●芸術のことを語る専門知識は何もない私だが、心に響くものはすぐに分かる。私が感銘を受けた絵の一枚がこちら。↓

http://www.komorebi.co.jp/item_photo/ch048_02.jpg